近藤勇が松本良順を訪ねた日

  • 2008/10/11(土) 10:53:40

今日は10月11日

恒例の、新選組版「今日は何の日?」です



池田屋事件、禁門の変などの経験から

「兵は東国に限る」
と考えはじめた近藤勇。




その隊士募集を江戸で行うため、

近藤は数名の隊士を連れて、京を離れます。

ちなみに、東帰のメンバーは

近藤勇、永倉新八、武田観柳斎、尾形俊太郎です。





1864(元治元)年9月9日、

江戸に無事到着した近藤らは

目的遂行のため、そつなく活動しました。





その合間、近藤は松本良順宅を訪ねます。


松本良順
は医師であり、西洋医学所頭取でもあり、

後に新選組に、大いなる理解と親交を示す人物ではありますが、

このときの二人は初対面




それは、1864(元治元)年10月11日のことでした。





名刺を近藤から渡された家人や門人たちは、

恐ろしい浪人が良順を斬りにやってきたと

右往左往する始末。





しかし、良順は家人らに

「世間では近藤勇を乱暴者のように言っているが、

彼らのすることは大概は道理に適っていることだ」


と言って、臆することなく近藤の前に現れたのです。




さて、この日の近藤勇の用件はというと、




西洋かぶれの良順を斬る!





というつもりは毛頭なく^^;

諸外国や西洋事情について

良順に教えを乞いたいというものでした。





近藤らの江戸行きの目的のひとつは

先ほどの話の通り、隊士募集ではありましたが、

真の目的は、老中 松平伊豆守崇広邸に赴き、

将軍上洛を要請する建白書を提出することだったのです。





「長州征伐のために3度目の将軍上洛を実現すべき」

と考えていた近藤は、自分なりにいろいろ見聞きし

幾多の疑問を抱えていたのかもしれません。




そんなこともあって、西洋にも通じる良順に

世界の情勢なども聞いておきたかったのでしょう。




松本良順は、この無骨者にも誠実に接し、

外国の学問や軍隊などの水準の高さを示し、

「虚心を保って天下の大勢に注目し、大いに思慮すべき」


と説いたのです。





良順の話を聞いた近藤は

「長年の疑惑が氷解した」と大いに感激し、

今後も教えを乞いたいと上機嫌で

帰っていったのでした





このことがきっかけで二人の親交が始まり、

以後、長期に亘って良順は、

新選組の良き理解者として、彼らを支え続けていくのです。




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この記事に対するコメント

はじめまして。リンクスと申します。いつも楽しく拝見させて頂いております。私もブログのほうで、歴史ゲームというジャンルのボードゲームを製作させていただいているのですが、最近新撰組をテーマにしたゲームを作っておりますので、ぜひ相互リンクさせてていただけたら幸いです。

ぜひともよろしくお願いします。

はじめまして

リンクスさん はじめまして。
ようこそいらっしゃいました。

新選組のゲームを作っていらっしゃるのですか。
それはすごいですね。
ブログにお邪魔して制作のお話など拝見したいです。

リンク貼りは完了しています。
これからもよろしくお願いしますね。

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