清河八郎暗殺の地

  • 2011/10/25(火) 00:16:47

大江戸新選組史跡めぐり  誠

      PART.5 麻布 一之橋 〜清河八郎暗殺の地〜



麻布十番からすぐの場所に、一之橋という橋がみられます。

ここは清河八郎が、幕府の刺客・佐々木只三郎らに

斬られた場所といわれています。





清河八郎は、新選組の前身・浪士隊を結成した人物。

この人がいなければ、近藤勇らはたぶん

京都へ行かなかったでしょうし、

新選組もなかったかもしれません

そういう意味では、新選組にすごく縁のある人物ですよね。





近藤勇らと決別し、京から戻った清河は、

浪士組で集めた浪士達を使って、攘夷を実行しようと計画します。

でも彼の行動は幕府が追っていて、けっきょく

幕府の刺客に襲われ絶命するのです。





文久3(1863)年4月13日のその日、

上ノ山藩士の金子与三郎に招かれ

一之橋近くの金子宅を訪問し、その帰り道での出来事でした。





金子宅を訪問する前、清河は高橋泥舟宅に立ち寄ります。

そこで泥舟の妻の澪に、歌を渡したそうです。

その歌のひとつが有名な

魁がけて またさきがけん 死出の山

    迷はせまじ 皇(すめらぎ)の道
でした。

 




清川には、何か感じるものがあったのかもしれませんね。

そんな清河の様子に、泥舟や澪は不吉なものを感じ、

金子家訪問を引き止めますが、

「約束を破るわけには行かない」と外出し、

そのまま帰らぬ人となったのです。






今の一之橋には、当時のおもかげはなにもなく、

「一之橋」という文字がなければ

そのまま通り過ぎてしまいそうな場所ですよ。




一之橋
一之橋 posted by (C)ルンちゃん



ところで、アメリカの通訳士だったヒュースケンは

清河が結成した「虎尾の会」のメンバーでもある

樋渡八兵衛や伊牟田尚平らに暗殺されました。





その暗殺現場が、清河が暗殺された「一之橋」から

ほんのすぐそばの「中之橋」付近だったのです。




偶然ではありますけど、

清河にとっては皮肉な出来事にも思えますよね。

歴史は時に、不思議な巡り会わせを与えてくれるものです。



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近藤周斎の墓

  • 2011/10/21(金) 00:10:25

大江戸新選組史跡めぐり  誠

      PART.4 金地院 〜近藤周斎の墓〜



芝・増上寺のお隣で、

東京タワーのお向かいにあたる場所に、

金地院(こんちいん)があります。

金地院
金地院 posted by (C)ルンちゃん


こちらは臨済宗南禅寺派のお寺で、

以心崇伝(いしんすうでん)が開山しました。

崇伝は京都南禅寺金地院の住持でしたが、

徳川家康に招かれ書記を務めるうち、

次第に頭角をあらわし、側近となっていきます。






崇伝といってもピンとこないかもしれませんが、

慶長19年(1614年)の方広寺大仏殿等の再建の際、

梵鐘銘文の文字中に「国家安康 君臣豊楽」とあるのを、

崇伝らが「豊臣家が家康(=徳川家)を切断し、

豊臣家の繁栄を祈念する不吉な文字」と解釈し、 

大阪の陣のきっかけを作った人物(の1人)

とも言われていますよ。






他にも「武家諸法度」や「禁中並公家諸法度」などの

法度にも参画し、「黒の宗相」とも呼ばれた、

徳川家康・秀忠・家光三代に深く関わりのあった人です。

金地院の葵の紋
金地院の葵の紋 posted by (C)ルンちゃん
この紋でも、徳川家との関わりがわかりますよね^^




その崇伝が家康の死後に

江戸に開山したのが、この金地院です。

だたし戦前は今の場所の他にも敷地があったそうですが、

戦後に現在の地にまとめたとのことです。






このように徳川家とはとても縁の深いお寺ですが、

その敷地のひと隅に、天然理心流宗家の三代目であり、

新選組局長・近藤勇の義父でもある

近藤周斎のお墓があるのです。




近藤周斎の墓
近藤周斎の墓 posted by (C)ルンちゃん





周斎の墓碑には「周斎近藤邦武之墓」の文字と、

丸に三ツ引きの家紋があります。

裏面には「祠堂 金二十両納之」の文字もみられます。






土方歳三が隊士募集を兼ねて江戸に下った際、

病気療養中の周斎を見舞いますが、

彼らが江戸を発ってまもなく、慶応3年10月28日に

周斎は死去しました。享年76歳。





その後、このお寺に埋葬されますが、

このお寺には周斎の他は、近藤家やその縁者らしき人は

埋葬されていません。






当時の近藤勇は見廻組与力格、

れっきとした旗本となっていました。

江戸幕府においてはそれなりの地位もあったということで、

幕府からの要請などもあって、徳川家ゆかりのこの場所に

埋葬されたのかもしれませんね。

(埋葬の詳細は不明との住職様のお話^^)






最期を看取ることができなかった勇には、

徳川家ゆかりの地への埋葬が、

ひとつの親孝行だったのかもしれません。





このお寺には、南部氏(南部藩など)の墓所もあり、

江戸住まいだった正室や子女らの立派な墓が

ひっそりとたたずんでいます。



勝林山金地院
東京都港区芝公園3−5−4



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近藤ツネの実家跡

  • 2007/08/01(水) 10:43:18

大江戸新選組史跡めぐり  誠

        PART.3 近藤ツネの実家跡





よく写真で見ていた場所だったので、
「あーここだ!」とすぐにわかりました。
近藤ツネさん(旧姓松井)の実家跡です





この場所は松井ツネの父「松井八十五郎」の名で
「駿河台小川町図」の古地図に載っています。





松井八十五郎は清水家近習番家臣であり、
ツネさんはその長女として生まれました。
(天保8年9月10日生)
勇より3歳年下です。
結婚前には鷹司家祐筆も勤めていた才女です。





この場所も当時の面影があるわけでもなく、
言われるままに「あーそうなんだ」という感じです。




こういった場所は古地図を持ち、
今の地図と自分の立ち位置とを
あわせて見たほうが良いみたいですね。




tune

↑  ↑
この辺りなのですが 目印もないのでわかりませんよね〜^^;




ところでツネさんがらみのエピソードとしては、
やはり勇との結婚の話があげられますよね。





美人の見合い相手をことごとく退け、  ←実際は2人だけみたい
ブサイクだったツネさんをためらわず嫁にもらったという
勇の美談のようにいわれています。




でも実際のツネさんの写真をみる限りは
「どこがブサイクなの?」という感想で
「まったくもって失礼な話!!」
とツネさんに成り代わって怒りたくなります!




だってツネさんがブサイクなら、
この世のほとんどの女性が
みんなブサイクな部類に入りますもん!!!




それなのにツネさん
勇が亡くなった後に「再婚したら?」といわれて
自害しようとまでしたのですよ。
なんともステキな人じゃありませんか。




近藤ツネの実家跡
東京都千代田区富士見1−3−10

(参考書籍/新人物往来社「新選組史跡事典」東日本編







もち歩き江戸東京散歩/人文社

↑ ↑
こういうのが便利ですよ。
古地図と現代地図が載っているのです。
実際に歩きながら比較してみると面白いですよ〜^^



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永倉・島田剣術修行の地

  • 2007/07/25(水) 14:22:03

大江戸新選組史跡めぐり  誠

        PART.2 永倉・島田剣術修行の地






永倉新八や島田魁がいた 坪内主馬(しゅめ)の道場跡です。




松前藩江戸藩邸の長屋で生まれた永倉新八は、

小川町の岡田十松道場(撃剣館)で神道無念流を学び、

本所亀沢町の百合本昇之道場にも通ったそうです。




その後万延元年に下野方面に武者修行に出て

戻ってからは、坪内主馬の依頼で

この道場で師範代として稽古をつけていたようです。




この道場は牛込方面では5本の指に数えられ、

門弟も多かったようですよ。





永倉は道場での稽古の他に、

出稽古や他の道場めぐりもしていたようで、

それがきっかけで近藤勇の試衛館道場も知ったみたいです。




この坪内道場では島田魁も修業していたようですが、

入門した年代を考えると、同時期に修行したわけではなさそうです。




飯田橋駅から たしか徒歩圏内ですが(道順は忘れました)

当時のものがあるわけでもなく、碑も建っていないので、

しっかり下調べをしていくか、道案内の人がいないとわからない場所です。




あとで地図を見たら東京警察病院と

東京逓信病院に はさまれた辺りでしたけれど。





写真を撮るときも、伊東成郎氏に

「ここですね!」

と念をおして撮りました(笑)




というのも
 
数年前はビルが建っていたのにそれが取り壊され、

真新しい駐車場になっていたからです。





070725

   ↑ ↑
それがこちらの駐車場です(^^)





史跡として保存されていないと

どんどん変わってしまうのですね〜。

こちらに来てあらためて実感しました。




永倉・島田剣術修行の地(坪内主馬道場跡)
東京都千代田区富士見2−13−14



(参考書籍/新人物往来社「新選組史跡事典」東日本編

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試衛館跡

  • 2007/07/21(土) 10:04:36

大江戸新選組史跡めぐり  誠

        PART.1 試衛館跡






都営地下鉄大江戸線。

「大江戸」とはよく名付けたもので、

この沿線には いろいろな江戸の史跡があります。

新選組ゆかりの地もこの電車に乗って

訪ねることができるのですよ!




大江戸線には「牛込柳町」という駅があります。


聞いたことありますよね。

試衛館道場の話が出てくると登場する地名です。

それだけでワクワクしてしまいます。





「牛込柳町」の駅からすぐの場所に「麹坂」というのがあります。

永倉新八さんが、「試衛館は坂の上にあった」と言っていた通り、

今でも坂があるのですよ。




想いをめぐらせ「麹坂」をゆっくり上っていくと坂上に至り、

そこがちょうど試衛館があったあたりです


当時の地名は牛込甲良屋敷です。

古地図にも載っています。






天然理心流は宗家三代目近藤周助の代に、

この牛込に移転してきました。

近藤勇先生や沖田総司はここから多摩の地に

出稽古に行っていたのですね!






明治時代のジャーナリスト福地桜痴によると

道場の広さは14.5坪。

建物は平屋建て、中庭に紅葉の樹があったそうです。

近藤勇の部屋は8畳、客間は12畳あり、

他に細長い不思議な部屋があったそうです。




そこが沖田総司や、

永倉のような食客たちの部屋でした。




ちなみに土方歳三は当時 地元の日野を中心に

活動していたようで、ここには住んでいません。

試衛館の近くに親戚があったようで、

そこからちょくちょく試衛館に立ち寄っていたのではないか

とのことです。



詳細は「土方歳三資料館日記」にあります。
        ↓ ↓

       こちらです



試衛館跡は現在はマンションが建ち、当時の面影はありません。

ただマンションの脇にある細い道を奥へ入ると、

古い稲荷神社の祠があります。


070707

いかにも古そうですが…^^;
クリックで画像が大きくなります



それがいつの時代のものかわかりませんが、

試衛館の敷地内にあったという説もあり

もしかしたら、近藤たち試衛館のメンバーが

手をあわせていたのではないかな〜と思うと、

感慨深いものがあるのです。





試衛館跡

新宿区市ヶ谷甲良町1−20

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