柴又七福神めぐり(その2)

  • 2011/01/14(金) 18:37:21


柴又七福神めぐりの後半です。

まずは、コースからですよ





1.観蔵寺 − 2.医王寺 − 3.宝生院 − 4.万福寺 −

5.題経寺 − 6.真勝院 − 7.良観寺







5箇所目の題経寺に入る前にランチタイムになったので、

各自でお食事することになりました。

この辺りは川魚が名物とのことだったので、昼食は鰻です。






本日は川子家(かわちや)さんにて。

このお店は題経寺に至る参道にありますが、

今日の参道は参拝者で長蛇の列ですよ。

ですからお店の中も満員で、大きなロビーで待つこと30分以上。

やっと席につけて一休みです。



お昼ごはん
お昼ごはん posted by (C)ルンちゃん



今回はうな重を頂きましたけど、

周辺のお店でも川魚料理の、鯉のあらいや鯉こくも

食べることができます。今度また来て、

いろいろな味を堪能したいところですね〜。




そして、お食事が終わったら七福神めぐりの再開ですよ〜。




5.題経寺(毘沙門天)


映画「男はつらいよ」の寅さんの口上、

帝釈天で産湯を浸かり…
と出てくる、

その帝釈天と呼ばれるお寺がこの題経寺です。





江戸時代の初期、1629(寛永6)年に創立されたお寺で、

禅那院日忠が開山とも弟子の題経院日栄が開山ともいわれています。

9世住職である亨貞院日敬(こうていいんにっきょう)が、

行方不明になっていた日蓮の「帝釈天の板本尊」を発見したのが、

ちょうど1779(安永8)年の庚申の日だったことから、

60日に一度の庚申の日に縁日が開かれるようになりました。






その後日敬が板本尊を背負って江戸を歩いて周り、

飢饉に苦しむ人々に拝んでもらうと、不思議な効果があったことから、

帝釈天への信仰が広がって有名になったそうです。



題経寺の二天門
題経寺の二天門 posted by (C)ルンちゃん

このお寺は各建物の彫刻がたいへん立派で、  これ見て!

二天門や本堂などに細かな彫刻がほどこされています。

なかでも釈天堂は必見の価値ありで、

ここに来たなら、奥の内殿までじっくり見たほうがいいですよ。






じつはもう数十年も前になるんですけど、

帝釈天に来たことがありまして、その時

この彫刻の素晴らしさに感動したんです。

そのころは外から外観を見渡すことができたんですけど、

今はその彫刻を保護するために、全体がガラス張りになっていました。






ですから外から気軽に見ることはできなくなりましたけど、

彫刻の保護ならしかたありませんよね。

それに上層部へも行かれるようになったので、

以前はよく見えなかった彫刻がみえるようになって、

その点ではよかったのかもしれませんね。





6.真勝院(弁財天)


帝釈天の門から2分ほどのところにありますよ。

こちらには美しい弁財天がいらっしゃいます。

しかも8本の御手をお持ちで(一面八臂=いちめんはっぴ といいます)

そこに弓や刀を持っているりりしいお姿です。

これは初期の頃の弁天様の特徴だそうです。






お寺は806(大同元)年に創建されたといいますが、

度々の火事や、国府台の合戦により焼失、

何度か再興されて現在に至っています。


真勝院
真勝院 posted by (C)ルンちゃん



境内の本堂に至る道には「五智如来石像」があります。

それは1660(万治3)年に柴又村の名主・済藤次郎衛門、

相模伊勢原村・鳥居九左右らが

生前供養(自らの供養を生前に行う)のために建てたものだそうです。





7.良観寺(宝袋尊)


柴又街道に出て金町浄水場の方へ

線路沿いに歩いていくと良観寺が見えます。

普通は『布袋尊』と書きますが、こちらでは

『宝袋尊』
と書くそうです。



8箇所目の良観寺
8箇所目の良観寺 posted by (C)ルンちゃん


江戸時代初期にある商人が山中で日が暮れ、

困っているところに漁師がひとり現われたそうです。

それに導かれ民家に着き、一夜を明かすことができました。






翌日目が覚めてみると、そこは大木の洞の中で、

見渡してみると一段高い所の小さな穴から、

光が差していました。

恐る恐る近づいてみたところ朝日にを背にした

「布袋様」がこちらを向いていたのです。






そのお姿を持ち帰り日々、一夜の際の礼拝をしていたところ、

商いは以前にも増して繁盛したそうです。

その後も布袋様のご利益を礼拝していましたが、

その話を伝え聞いた人々が店に詰めかけ、

益々繁盛していったとか。





あるとき、商人は「このように布袋様を独り占めしてはいけない」

と思い立ち、この寺に奉納したのでした。

ただし、その時の布袋様は昭和20年の空襲に遭い、

ご本尊の観音様は助けることができましたが、

布袋様は焼かれてしまい今はありません。

現在は新しい布袋様が祀られています。






ご本尊は『尻手観音(しってかんのん)』とも呼ばれている

観世音菩薩で明暦年間(1655〜58)年の建立以来

こちらに安置されています。



柴又七福神めぐり完了!
柴又七福神めぐり完了! posted by (C)ルンちゃん


これで7箇所、無事完了しましたよ。

七福神だけめぐるなら、3時間もあれば充分でしょうか。

そして、こちらのご朱印は各所1押印でいたってシンプル。

しかも日付も書いてもらえないので、帰宅してから自分で書くようです。






今回は時間の都合で行かれませんでしたけど、

「矢切の渡し」や「寅さん記念館」など

帝釈天周辺には意外と見るものがあるようですよ。

人がこんなに多くない時に、また訪れてみたいと思います




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  • 2011/01/10(月) 23:02:46


1月9日(日)は、今年最初の「大人の遠足」の日でしたよ

年始ということで企画されたのが、柴又七福神めぐりです。






じつはバラしますと、個人的には今年すでに

「港七福神めぐり」を行い、かつ

「八王子七福神めぐり(2年目)」もしてるんです。

注…八王子は7年連続めぐると黄金の色紙が頂けます^^







つまり今年はこれで七福神めぐりを3つ体験することに…

幸福を欲張ったつもりはないんですけど、

結果的にはそうなっちゃいましたね





新選組に関わりはありませんけど、

せっかくですので「柴又七福神めぐり」についても

載せておこうと思います。

よろしければ、ご覧下さいね〜♪





まずは、コースです。

1.観蔵寺 − 2.医王寺 − 3.宝生院 − 4.万福寺 −

5.題経寺 − 6.真勝院 − 7.良観寺






京成高砂駅から出発です。

駅に柴又七福神めぐりのパンフレットが置いてあるので、

それを見ながらめぐります。

でも今日は遠足(総勢26人)なので、

講師のA先生についていくだけ〜 楽チ〜ン♪





1.観蔵寺(寿老人)


駅から青砥の方向に5〜6分くらい歩くと、

一つ目のお寺です。まだまだお正月の雰囲気で、

人が多いですね〜。





観蔵寺は1469(文明元)年に創建されたお寺です。

1565〈永禄7〉年、国府台合戦の戦火に見舞われ焼失しますが、

隆敬法印によって1653(承応2)年に再興されました。

ご本尊は観世音菩薩です。





こちらには寿老人が安置されていますが、普段は見られません。

でもお正月15日までは本堂の正面に置かれます。

つまり今だけ拝見できるんですよ




観蔵寺
観蔵寺 posted by (C)ルンちゃん



こちらで色紙を購入し(400円)、

最初のご朱印を頂きます。(各寺社200円)





京成高砂駅近くの七福神はこちらだけで、

あとは新柴又駅と柴又駅に近いです。

ですから次の医王寺まではかなり歩きますよ。

パンフレットによれば23分くらいです。






さくら道
さくら道 posted by (C)ルンちゃん





途中にはさくら道と呼ばれる道があります。

そこは千葉県佐倉に至る道(旧佐倉街道)です。

「千葉県佐倉」といえば江戸時代、佐倉藩や

松本良順先生の父君・佐藤泰然さんが

佐倉順天堂を開いた場所でもありますね。





佐倉七福神というのもあるらしいので、

いつかは巡ってみたいです





2.医王寺(恵比寿天)


室町時代、三代将軍足利義満は、下総国に

奇病(赤目病)が発生し村人が絶滅に瀕していることを知ります。

後小松天皇に悪病退散の祈願寺を建立するよう上奏し、

京都仁和寺の観見和尚が薬師瑠璃光如来を奉持、

創建したのがこちらのお寺です。




医王寺
医王寺 posted by (C)ルンちゃん




赤目病というのは最初に目が充血し、

段々下まぶたが垂れ下がり赤く腫れ、

遂には失明してしまうという恐ろしいものだったそうで、

その原因は全くわかりませんでした。





この寺が出来ると沢山の目の病で苦しむ人々が訪れ、

寺では境内の清水(現存せず)と護符と茶目薬を

眼病祈祷札と一緒に渡したそうです。

驚くのは、それが昭和20年ごろまで続いていたっていうことですよ





それから恵比寿様についてですけど、源珍というお坊様が

全国行脚の際に脚気で歩行困難になり、その時山人から

恵比寿天像と蕎麦粉の寄進を受けました。

そして渓流で蕎麦を練って食しながら、

恵比寿天を二十一日間礼拝供養したところ、

川底から砂金を見出したのだそうです。





その後脚気の癒えた源珍は、

荒れ地でも栽培できる蕎麦を人々にすすめ、

商人には「蕎麦を供えて恵比寿天を礼拝すれば繁盛する」

と唱えたのでした。

そんな由来などもあって「そば寺」ともいわれているそうです。





山門も立派ですよね。

でもこちらは平成4年建立の、まだ新しいものでした。






3.宝生院(大黒天)


医王寺からほど近く(3分くらい)にあります。

創建当時は江戸京橋方面にあったともいわれていますが、

その後下谷の谷中へ、次いで上野に移り、

1923(大正12)年の関東大震災で焼失した後は、

昭和2年に現在の場所に移されました。




こちらの大黒様は「出世大黒天」とも呼ばれ、

大層信仰が厚かったそうです。


宝生院
宝生院 posted by (C)ルンちゃん




4.万福寺(福禄寿)


万福寺は閑静な住宅街に建っています。

このお寺は比較的新しいお寺で、昭和3年の創建とのことです。

なんでもこの場所から人骨数体が発掘されたとかで、

地元の人々の要望によって創建されたらしいです。



万福寺
万福寺 posted by (C)ルンちゃん
逆光でいささか見えづらくてスミマセン^^;




この辺りの七福神は、

比較的近い場所に集まっているので、まわり易いですよ。

次の題経寺へも4分ほどで行かれますけど、

ここでランチタイムとなりました。




区切りもいいので、続きは次回と致します。

どうぞまたご覧下さいね


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