玉置良三という人

  • 2011/08/11(木) 22:14:32

前回、「新選組夏まつり」のことを

お話しましたよね

過去記事 ⇒ 「新選組夏まつりの思い出」





そのお祭りの抽選会はチョッと変わっていて、

入場受付けのときに、

新選組隊士の名前が書かれた紙を貰う
のです。

じつはそれが抽選券で、

「持っている隊士の名が呼ばれたら、当たり」

というものでした。





その抽選会で、私が貰った名前が 玉置良三

それが彼との出会いです。




玉置良三って誰?




その時は知らなくて、

でも気になる名前だったので、

帰宅してから調べてみたんですね。





その時わかったのは、沖田総司さんと同じ

労咳にかかっていたらしい(この辺は曖昧)

ということです。

沖田総司さんが好きだった私は、

同じ病の良三さんにも、チョッと興味を持ちました。





もう少し詳しく彼についてお話しますと、

玉置良三(良造・良蔵とも)は、

新選組最年少の田村銀之助や

市村鉄之助と同じ位の年だったようで、

慶応3年6月以降に入隊したようです。





幼いながらも、その後に起こった鳥羽伏見戦や、

五兵衛新田、会津にも行っています。

両長召抱人(島田魁著)とも記し、

明治2年3月、箱館で病没となっています。

東京板橋の新撰組慰霊碑などにも

その名前は刻まれていますよね。







蝦夷に渡る時、隊士たちはそれぞれ

今後の自らの身の振り方を問われたようで、

その地で離脱や降伏した者も多くいましたが、

玉置良三はといえば、降伏することなく、

箱館にも渡っています。(鉄之助や銀之助と同じ)





箱館では市村鉄之助とともに、土方附となりますが、

結局は明治二年三月に死亡。享年は十五才でした。





市村鉄之助や田村銀之助の名前は

新選組ファンの間では有名ですよね。

でも、同じ少年隊士なのに良三の名前は

影が薄いです






そして小説や映画、ドラマでも

ほとんど登場することのない良三さんですけど、

じつは過去に一度だけ、

ドラマで大きく取り上げられた作品がありました。

それがこちらなんですよ



 五 稜 郭





このドラマの中で、箱館の病院で、

渡哲也演じる土方歳三に

見舞われている少年が彼です

でも、ドラマ設定では新選組隊士ではなく、

旧幕府軍の一兵士扱いでしたけどね。






血を吐きながらも戦場に赴き、

最期には力尽きて倒れる良三。

なんとも痛々しい…





このドラマでは、彼の出番はけっこうありました。

でも後にも先にも、玉置良三を取り上げてくれたのは、

あの作品だけです。(他は私の記憶にはありません^^;)





新選組隊士の中には、

こうした無名隊士が沢山いますよね。

史跡めぐりをすると、墓前に見慣れない名前を見つけ、

「この人、誰だっけ?」

ということも少なくありません。





これからも、そんな隊士のことを調べた時には

このブログで紹介したいと思っています。

どうぞまた、ご覧になって下さいね


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副長助勤 安藤早太郎 (2007/01/30)

副長助勤 安藤早太郎

  • 2007/01/30(火) 13:07:39

私が安藤早太郎さんのことを知ったのは、

森 満喜子著「沖田総司抄」の小説からなのですが、

試衛館メンバー以外の隊士で 好きな方の1人です。




安藤早太郎って誰



という方もいるかも知れませんが、

池田屋事件の際、裏手を固めていて

浪士達に斬られた3名のうちのひとりといえば、わかるでしょうか?



 
その3名、奥田栄助さんは即死、新田革左衛門さんと安藤さんは

手当ての甲斐なく事件の約1ヵ月後に亡くなってしまいましたけど。。。

彼は「壬生浪士組」の頃からの古参隊士で、副長助勤でもあったので

剣の腕もそれなりにあっただろうと思います。





その安藤早太郎さん、実は弓の名手だったそうです




弓の神事に「通し矢奉納というのがあります。

寺の回廊で的に向かって 一昼夜にわたり矢を射続け、

矢数(やかず)を競うというものですが、

安藤さんもこれを行ったことがあるそうです。




これは大変なことなのですよっ!!





弓で遠的(今は距離60mで直径1mの的を射ります)を射るのは、

通常的より弓を上にあげて、弧を描くように射ります。

しかし回廊(つまり建物内?)でそれをすれば

途中の垂木に当たってしまいますよね。
(京都の三十三間堂にはそのような矢の跡があるそうです)





つまり、ある程度強い弓を使い できるだけ水平に矢を飛ばし、

しかも一昼夜それを継続させなければならないのですから、

それをする人の「体力」「技術」「精神力」は並大抵のものではありません。




それだけでもすごいのに、

彼は1万本以上射って、うち8千本以上的中させたらしいのですから
 
その話を聞いた土方さんたちは大歓迎で彼を

浪士組に迎え入れたことでしょう。




…そんな弓の名手も殺到する大勢の敵には勝てませんでした。

斬込みでは 弓は使えませんものね。

刀ではなく、弓で戦わせてあげたかったな。。。

そんな風に思ってしまいます。





           





ところで、なぜこんなに私は安藤早太郎さんが好きなのでしょう。。。



実は私、縁あって弓道をしています。

だから安藤さんのような弓の名手に憧れます

少しでも彼のような名手に近づきたいと、

心ひそかに思っているのです。


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