横浜にある新選組隊士の墓

  • 2011/09/07(水) 00:35:53


今回、史跡めぐりをした横浜ですが、

じつは新選組隊士のお墓もあるのです。




その隊士の名前は、川村三郎(=近藤芳助)。




彼は幕臣の川村家に生まれますが、後に

近藤芳三郎の養子となり、近藤芳助と名乗ります。

その養子時代に近隣にあったのが、近藤勇の試衛館道場

彼はそこで剣術修行に励みます。






彼の新選組入隊は1864(元治元)年以降、

近藤らは隊士募集も兼ねて江戸に戻っていますが、

その頃に彼も入隊したようです。

新選組では伍長に任ぜられます。





鳥羽・伏見の戦いでは負傷してしまいますが、

江戸に帰った後も、流山や宇都宮、会津の戦いなど、

他の新選組隊士たちと行動を共にしていたようです。





しかしその後彼らとはぐれ、

仙台で新政府軍の捕虜になり江戸へ送還。

尋問の際に、新選組隊士だったことは言わずに

幕臣・川村三郎として通し、最終的には静岡で罪を許されます。

そして十数年の後、横浜に住むようになりました。






横浜では代言士(今の弁護士のようなもの)を始め、

市議会議員、県議会議員などを務めます。

そして社会にも貢献し、1922(大正11)年、

80歳という長寿を全うしたのでした。





もと新選組には住みづらかった明治時代に

大成することのできた、

数少ない新選組隊士の一人です。





そういえば、2009年の「なんでも鑑定団!」で

ご子孫の方が近藤勇らの写真を

鑑定してもらったことがありましたね。

あの時登場した隊士(の名前)が、この近藤芳助ですよ。

思い出しましたか?




さて、そのお墓は横浜市西区の東福寺にありますよ。


東福寺の赤門
東福寺の赤門 posted by (C)ルンちゃん



東福寺は、この赤門が目印です。

その赤門をくぐり、左側の道を少しあるくと

またひとつ門があります。そこをさらに進んでいくと

階段がありますので上っていきます。







しばらく歩くと大きな木の下に、

川村三郎のお墓がありました。

墓石の台座には「川村家」の文字があり、

正面にご本人と奥様のお名前がありますよ。

墓標に手をあわせ、きちんとご挨拶してきました。


新選組隊士、川村三郎
新選組隊士、川村三郎 posted by (C)ルンちゃん


こうして夕暮れも近づく中、史跡めぐりが終了しました。

締めくくりに、隊士の墓参ができてよかったです。

でも川村三郎のお墓が一番わかりづらくて、

見つけるのにかなり苦労しましたよ〜^^;

それにこの時期は蚊も多いので、何ヵ所も刺されましたしね…




史跡めぐりそれぞれに発見があり、また思うところもあり、

いい経験がたくさんできました。

多少の苦労があってもまた機会をつくって、

史跡めぐりをしたいです




また今回の史跡めぐりでは、歳月堂のお二人に、

多大なるご協力をいただきました。

この場を借りて、御礼申し上げます。

ありがとうございました





歳月堂さんで発行している、新選組史跡めぐりのための本は

使い勝手がよくて、とても便利ですよ。

もしあなたが史跡めぐりをしようと思ったときには、

これらの本を思い出してみて下さいね

⇒ 歳月堂HP



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日米和親条約締結の地

  • 2011/09/03(土) 23:49:08

8月末に出かけた、横浜史跡めぐりの2回目です。

前回の「生麦事件編」はお楽しみ頂けましたか?

過去記事 ⇒ 生麦事件の全容をみた!

さて お次は「開国編」ですよ〜





生麦事件の足跡を追って本覚寺へまで行った後、

神奈川駅まで戻って、横浜駅へと向かいます。

そこからJR線で関内へ。





横浜スタジアムは横浜公園内にありますが、

その公園のひと隅に、石灯籠がありました。

これは岩亀楼の石灯籠というものです。



岩亀楼の石灯籠
岩亀楼の石灯籠 posted by (C)ルンちゃん



幕末の頃、この辺一帯は入海でしたが、

その後埋め立てられ、岩亀楼などが開業し国際社交場として

賑わいました。でもその後、慶応2年に大火があり一帯が焼失し、

岩亀楼も移転します。






焼失跡地は外人たちの要望もあって、

日本初の洋式公園になりました。

その公園が今の横浜公園なんですね。

岩亀楼はその後、他の地に転々とし最後は廃業します。






この地には大火の焼失で当時を偲ぶものはありませんが、

この石灯籠だけが元の土地へと戻り

当時の名残となっていますよ。






横浜公園から海に向かって歩きます。

するとステキな洋館が見えてきます。

ここが横浜市開港記念会館です。

1917年に市民の公会堂のために建てられました。




ジャックの塔
ジャックの塔 posted by (C)ルンちゃん
「ジャックの塔」という愛称で呼ばれているのが
 横浜市開港記念会館です^^





前に私は来たことがあったのですが、

こちらは初めてのKちゃんのリクエストで訪れました

でも時間があまりなかったので、

ステンドグラスをメーンに見学しました。





ちなみにこの建物は、「ジャックの塔」とも呼ばれていて、

「横浜三塔」のひとつとなっています。

三塔は古くから横浜に入港する船が、目印としていた三つの塔のことです。

他に、クイーンの塔(横浜税関)・キングの塔(神奈川県庁)があり、

どれも独特の雰囲気を持っています。


クイーンの塔
クイーンの塔 posted by (C)ルンちゃん
横浜税関のことですよ^^






最近ではこの三塔が同時に見える場所(三箇所)をすべて巡ると、

願いが叶うという「都市伝説」があるらしいです

それを「横浜三塔物語」というらしい…

今回は行きませんでしたが次回の史跡めぐりでは、

ぜひ三箇所めぐって願いを叶えてみたいです♪





キングの塔を抜け、クイーンの塔を左手に見ながら、

道を右折すると、横浜開港資料館が見えてきます。





横浜開港資料館


ここはペリーが上陸したといわれている場所です。

ペリーが二度目に来航したとき、応接所を設置し、

1ヶ月ほど協議をして日米和親条約を結びました。

上陸の証拠がこちらの木




玉楠(タマクス)の木
玉楠(タマクス)の木 posted by (C)ルンちゃん



これは玉楠(タマクス)の木といって、

もともと開港前から横浜村の鎮守の木として立っていました。





教科書などで見たことがあるかと思いますけど、

有名な「ペリー提督横浜上陸の図」の中で、

ペリーが500人の武装水兵を従えて上陸している

その右端に描かれている木ということで

歴史的に超有名な木なんですよね。

参考 ⇒ ペリー提督上陸の石版画
     (タイムスリップよこはまHP)




でも当時あった木は横浜大火や関東大震災の火事で

焼けてしまったそうなんです。

でも焼かれた木の根元から新しい木が芽生え、

それがこんな大樹になって今もスクスク成長しているのです。

植物のパワーはスゴイですよね!





横浜開港資料館は旧館と新館があり、

旧館は昭和初期の建物ですが、旧英国総領事館だったものです。





新館の方では展示室や資料室もあり、

開国や横浜について知ることができますよ。

展示室1ではペリー関連の史料があります。

ペリーの絵や写真はよく知っているものもありますが、

それ以外にも開港時の横浜写真や錦絵など

いろいろ見ることができて嬉しいです。





二階の展示室2では「庶民の暮らしや風景」や「横浜ものはじめ」

「外国との交流」について知ることができます。




他にも年4回の企画展示を行っていて、

今回は横浜に住む写真家・広瀬始親氏の撮った写真が

展示されていました。

「広瀬始親写真展 横浜ノスタルジア・特別篇〜昭和30年頃の街角」


昭和の頃の写真など、見に来た方達は

自身の当時を振り返って、懐かしくご覧になっていましたよ。




日米和親条約締結の地碑
日米和親条約締結の地碑 posted by (C)ルンちゃん




横浜開港資料館の隣には開港広場があって、

日米和親条約締結の地碑が立っています。

ここから明治維新へのカウントダウンが始まるのです。

幕末の動乱もここから始まるわけですね。





というわけで幕末の始まりともいえる

横浜の史跡めぐり「開国編」でした。

予定していた場所は他にもありましたが、

見るものが多いので、やはり時間がありませんでしたね。

横浜の史跡はホント多いです。






でもこんな風にテーマを決めて歩いてみると

当時について理解することができますよ。

新たな発見もあって、ますます歴史の深みにはまっていく。

こうなるともう抜けだせませんね〜





そんな世界にはまりたい(=楽しみたい)というなら、

あなたも史跡めぐりに出かけてみて下さいね〜







ところで…

横浜史跡めぐり「開国編」は終わりましたけど、

新選組好きの二人が これで終わるか

と思ったら大まちがいです





実はまだ史跡めぐりは続くんだな〜。

次回はおまけのコーナー。

いえいえ、じつはこれがメーンだったりして… 


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生麦事件の全容をみた!

  • 2011/08/31(水) 00:29:35

8月最後の日曜日、史跡めぐりに行ってきました

今回の史跡めぐりは横浜です。

横浜の史跡めぐりは、これで2回目なんですよ。




ちなみに1回目はこちらです。

過去記事 ⇒ 横浜散策、史跡めぐり




今回もいろいろと巡ってきましたよ。

何回かに分けてお話しますね。





さて今回の史跡めぐりのテーマは「開国」「生麦事件」です。

この二つはその後の 「倒幕 ⇒ 明治維新」 へと進んでいく

発端となる出来事ですよね。

行った順番にお話しますと生麦事件関連からになるので、

まずはそちらからです。





一緒に巡ったのは、昨年の函館に一緒に行ったKちゃんです。

彼女も新選組が好きなので、会うと話は尽きません。

お互いに調べてきたものを合体させ、

有意義な史跡めぐりをすることができましたよ






京急線の生麦駅から、国道15号線(第一京浜)へ向かって歩き、

その国道沿いを右に歩いていくと、

キリンのビール工場の入口のある小道にぶつかります。

そこが昔の東海道です。






以前、この工場に見学に来たことがあったのですが、

その際、工場の入口にある歴史看板を目にしました。

それが有名な「生麦事件」の看板だったんですよね。





それは生麦事件の犠牲になったリチャードソンが、

この地で絶命したという説明看板です。

大名行列の中に立ち入ってしまった4人のイギリス人のうちの1人、

リチャードソンは薩摩藩士たちに斬りつけられて必死に馬で逃げますが、

途中でとうとう力尽きて落馬します。

そこへ追いついた薩摩藩士がやってきて、重症の彼を見て

手当ての施しようがないと判断し、止めを刺したのがこの場所です。






でも現在は、ここに碑はありませんでした。

高速道路工事のため、平成28年まで

同じ旧東海道のもう少し川崎方面寄りに仮移転中です。




生麦事件の碑 遠景
生麦事件の碑 遠景 posted by (C)ルンちゃん

   生麦事件の碑
生麦事件の碑 posted by (C)ルンちゃん



その場所がこちらですよ。

この碑は明治になってから建てられたものだそうで、

建てた当時は屋根はありませんでした。

石の痛みが目立つようになって、保護のため屋根が作られたみたいです。

今は仮の場所にありますが、工事が完了した後は

元の場所に戻されるそうです。






リチャードソン絶命地から川崎方面に歩いていくと、

「生麦事件発生現場」
の説明看板が

設置されているのを見ることができます。

そこが、彼らが襲われた場所です。


生麦事件発生現場
生麦事件発生現場 posted by (C)ルンちゃん





昔の街道は道幅も狭く、こんなところで大名行列に遭遇したら、

どうしたって馬4頭は邪魔です。

現場を実際に見てみると、そんなことも

簡単に想像することができます。



生麦事件現場から横浜方面を望む
生麦事件現場から横浜方面を望む posted by (C)ルンちゃん


これらの場所は生麦駅から、そんなに遠くはありません。

歩いて難なく行かれる距離です。

そしてここまで来たなら、もう1箇所立ち寄りたい場所があります。




生麦事件参考館
生麦事件参考館 posted by (C)ルンちゃん


生麦事件参考館


私設資料館ですが、こちらの淺海武夫館長さんは

35年も前から国内外の生麦事件関連の史料を集めていらして、

ずっと生麦事件を研究なさっている方です。






その知識は豊富で、何の史料も見ずに

立て板に水が流れるが如く当時を語る様子は

スゴイとしか言いようがありません。

各地の講演会にも呼ばれているそうですよ。

私達も1時間ほどのビデオを拝見しましたが、

なんとなくわかっていたつもりの自分達の生麦事件の知識は、

実はほんの一握りの内容だったことに気付かされるのでした。





この生麦事件参考館に来たことで、見たことのない貴重な史料も拝見し、

当日の薩摩藩の様子、リチャードソンらがこの地に来たいきさつ、

その後の当事者たち、生麦事件から薩英戦争に至る過程、など

知らなかったことがいっぺんにわかり、視野が広がった気がします。






生麦駅から再び電車に乗り、仲木戸駅で下車。

国道15号線の道より2つ程手前の道を、横浜方面に歩いていくと

ほどなく神奈川宿の高札場を見ることができます。

その高札場を過ぎて歩いていくと、成仏寺があります。



成仏寺
成仏寺 posted by (C)ルンちゃん



ここは開国時に、アメリカ人宣教師の宿舎になったところです。

ヘボン式ローマ字をつくった有名な

医師ヘボンも一時住んでいた場所です。




そのまま突き当りまで道を歩いていくと、

浄瀧寺
が見えてきます。

ここは開港当時、イギリス領事館があった所です。


浄瀧寺
浄瀧寺 posted by (C)ルンちゃん


浄瀧寺の碑
浄瀧寺の碑 posted by (C)ルンちゃん


生麦事件の場所からは、ここが一番近い領事館になりますが、

当時イギリス領事館は、すでに外国人居住地に移っていたみたいですね。

ですから生麦で藩士たちに斬りつけられたイギリス人たちは、

もっと先の本覚寺まで行ったようです。
(何気に私達も彼らの辿った道を進んでいました)




本覚寺
はアメリカ領事館があったところです。

襲われた4人のうちの1人(女性)マーガレットは

この本覚寺まできますが、馬が石段を登れなかったので、

そのまま居住地の方へ向かったそうです。

本覚寺の階段
本覚寺の階段 posted by (C)ルンちゃん

本覚寺
本覚寺 posted by (C)ルンちゃん



あとの2人・マーシャルとクラークは怪我をしながらも、

この本覚寺にたどり着き、先述のヘボン医師の治療を受けたようです。

その後、生麦事件は波紋を広げ、薩英戦争へと発展していきます。

(薩英戦争も教科書に載っていない、興味深い話が多数あります^^)






こんな風に、今でも生麦事件の足跡を追うことができますよ。

なかなか有意義な史跡めぐりでした。

今回の生麦事件関連は、これで終わりますけど、

生麦事件参考館で聞いた話では、生麦事件の話は本当に奥深いです。





今回の生麦関連の史跡めぐりが有意義に行えたのは、

淺海館長さんのおかげです。ありがとうございました




あなたも生麦に行ったなら、是非この参考館に

立ち寄ってみて下さいね。

きっといろいろなものが、得られるはずですよ。

注…生麦事件参考館は予約が必要です。
(館長さんのご都合で、今は予約が取り難いかもしれません)




横浜史跡めぐり 開国編
に続く…



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少し前の横浜散策、史跡めぐり

  • 2011/04/10(日) 22:00:13

先月のちょうど今頃、横浜の街を歩きました。

あの地震のために記事アップが出来ずにいましたが、

きれいな写真なので、今回アップすることにしました。

よかったら見てくださいね。





歩いたコースは、横浜駅から出発して、

掃部山公園や神奈川奉行所跡、馬車道を通り、

横浜中華街を横目にマリンタワーで折り返し、

山下公園を突っ切って赤レンガ倉庫に立ち寄り、

横浜ランドマークタワーを見上げつつ横浜駅まで戻る

という往復約12キロの道のりです。





その中から、いくつか

印象に残った史跡をご紹介しますね

まずはこちらから。





掃部山公園


この公園には大きな銅像が建っています。

誰の銅像だと思いますか?



掃部山公園
掃部山公園 posted by (C)ルンちゃん




掃部山公園の銅像
掃部山公園の銅像 posted by (C)ルンちゃん



「掃部」でピンときたかもしれませんけど、

こちらは井伊掃部頭直弼(いいかもんのかみなおすけ)です。





なぜここに井伊直弼の銅像が?

と思うかもしれませんが、明治時代、旧彦根藩士の有志が

開国に功績のあった直弼を顕彰するための銅像を建てようと

明治17年にこの場所を買い取り、井伊家の土地にしていたのです。





横浜開港50年記念の際(明治42年)に、

念願の井伊直弼像が建てられました。

でも除幕式の時、直弼銅像の建立に反発していた山縣有朋や

伊藤博文、井上馨らは出席しなかったんだとか^^;

いろいろな思いが錯綜する場所です。

今は銅像がたたずんでいるだけですけどね。






ただし当時建てられた銅像は、

第二次世界大戦時の金属回収で

持っていかれて残っていません。

開港100年記念の際(昭和29年)に

横浜市が依頼して製作されたのが、現存の銅像です。






銅像近くには水飲み施設もありますが、

それは建立の際に、井伊直安子爵から

寄贈されたものだそうですよ。



掃部山公園の水飲み場
掃部山公園の水飲み場 posted by (C)ルンちゃん



ここは江戸時代には不動山と呼ばれ、

海を見下ろせる見晴らしのいい場所でした。

でも今はマンションやビルが建ち並び、

海はさえぎられています。

それでも銅像は、さえぎられた海に向かって

立ち続けています。






神奈川奉行所跡


掃部山公園の南側、歩いて3〜4分の場所に

神奈川奉行所跡があります。

横浜開港にともない、外国奉行に携わっていた

酒井忠行、水野忠徳ら5人を神奈川奉行に兼任させ、

内国司法や行政の事務にあたらせていた場所です。

今は当時の面影はなく、この碑があるだけです。




IMG_0673
IMG_0673 posted by (C)ルンちゃん



奉行所はなくなっていますけど、横浜の街を歩くと

いたるところに歴史を感じさせる建物があります。

しかもそれらは今も現役で使用されているから、

驚きますよね。





馬車道にある神奈川県立博物館も

そんな建物のひとつですよ



馬車道にて
馬車道にて posted by (C)ルンちゃん




神奈川県立歴史博物館


この建物は明治33年から37年にかけて建てられたもので、

横浜正金銀行の本店でした。一時、

旧東京銀行横浜支店だったこともありますが、

今は神奈川県の所有で博物館になっています。

この日は「江戸時代の貨幣」というコレクション展が

開催されていました。


神奈川県立歴史博物館
神奈川県立歴史博物館 posted by (C)ルンちゃん


神奈川県立歴史博物館の看板
神奈川県立歴史博物館の看板 posted by (C)ルンちゃん




建物自体が博物館のお宝のようなものですね。

この建物は関東大震災時にも、

くずれることなく残りました。

ただし内装はその時焼失してしまったそうです。

それでも中に入って館内を覗くだけで、

ワクワクしてきます。





館内には喫茶室がありますが、

そこでコーヒーを頂いているだけで

明治の雰囲気が味わえる感じです。

この喫茶室は、日曜日でも混んでいないので、

のんびりしたいのなら、おすすめの穴場です






他に、横浜市開港記念会館も古い建物ながら、

市民の公会堂として、使用されています。

この日もピアノのコンサートが開かれていました。

どちらの建物も、国の重要文化財に指定されている建物ですよ。






建物は人が使用していないとすぐに傷むものですが、

こうして市民が自由に使用しながら保存するというのは、

すばらしいことですよね。

このまま末永く大切に残して頂きたいです。






ぶらり歩きの折り返し地点は、横浜マリンタワーです。


横浜マリンタワー
横浜マリンタワー posted by (C)ルンちゃん



久しぶりにタワーの展望台まで行ってみました。

20年ぶりくらいかしら。

マリンタワーは近年修繕され、きれいになったと

もっぱらの評判です。



横浜マリンタワー展望台からの眺め
横浜マリンタワー展望台からの眺め posted by (C)ルンちゃん



展望台からはベイエリアが見られます。

こうして街並みや海を眺めていると

どことなく函館に似ているように思い

懐かしさが感じられました。





古い明治時代の建物が、現代建物と共に

ごく自然に街並みに溶け込んでいるところとか、

五稜郭タワーのように、高台に上り海が見えるところとか、

ベイエリアの赤レンガ倉庫とか。

横浜には函館と同じ雰囲気があるようです。



赤レンガ倉庫
赤レンガ倉庫 posted by (C)ルンちゃん



同じ開港の街だからでしょうか?

そういえば数年前、開港150年行事をしていましたね。





今回の地震による津波で、

函館も朝市や赤レンガ倉庫辺りが浸水したと聞いています。

だいぶ回復したようですが、多大な被害を受けたとか。

微力ながらカニなど注文して、応援したいです。





横浜もその後どうなったでしょうか。

落ち着いたら、また横浜へも行ってみるつもりです。


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