池田屋潜入レポ

  • 2012/06/12(火) 00:52:53

永年営業していたパチンコ店が閉店し、

「今度はなにが出来るのやら」と思っていたビル跡に、

「池田屋(居酒屋)」ができると知った時には、

驚きと興味と期待とが、心の中で入り交じっていましたね






「営業したらすぐに行ってみよう」と思いつつも

なにぶん京都(=遠方)のことなので、そうもできず、

やっとその機会にめぐりあえた、先日の京都旅行♪

あの『池田屋』に行くことができましたよ






池田屋は、まずまずの印象でしたので

「潜入レポート」をお伝えすることにしました。





題して


「池田屋潜入レポ 〜御用改めであ〜る!〜」







それでは いってみましょう!

注…このレポートは、歴史書に載る「池田屋」の
    潜入レポートではございません。
    あくまでも京都三条の居酒屋「ななの舞」の
    潜入レポですので、その点ご了承願います





さて、われら3人(女性)が潜入したのは、夜も深まる10時すぎ…

じゃなくて、夕方6時の頃でしたよ。

4月下旬のことだったので、すでに周辺は暗かったですけどね。






この『池田屋』はけっこう人気があるらしく、

予約しておかないと入れないこともあるのだそうです。

利用客の年齢も、若い歴史好きばかりが集まるのかな〜

と思ったらそうでもなく、けっこう年配の人にも

好かれているらしいですよ




池田屋!!
池田屋!! posted by (C)ルンちゃん






池田屋前に来て、見上げてみれば大きな「池田屋」の文字。

なんか本物の「池田屋」みたいで、

ワクワク・ドキドキと気持が湧いてくるのがわかります。





入口ののれんは、もう池田屋そのまま。そのドアに手をかけ、

「よ〜し行くぞと!!」と、妙に意気込んだ自分がいましたよ。




御用改めに参る
御用改めに参る posted by (C)ルンちゃん




御用改めであ〜るっ!




御用改めであ〜る!
御用改めであ〜る! posted by (C)ルンちゃん




と、心の中で叫び(声は出さない、恥ずかしいから^^;)

2階へずいずいと上がろうとしたら、

「地下へどうぞ」と階下へ案内されました。

うわ〜ぁ、ここって地下もあるんですね。





抜け道へと続く道か?

なんて思ったら、なんのことはない普通のテーブル席。

でもここはローリングカーテンで仕切られ、

個室へと変わるらしい。






席に座って、まずは飲み物注文です。

メニューを見たら「薄桜鬼」のキャラクター達が付いていました。

なんでも「薄桜鬼」とコラボしているとのことでした。

彼らにちなんだカクテルとかあるらしいです。






例えば「歳三の怒り」とか「総司の意地悪」とか、

ネーミングが面白いです

メニューを参考までに ⇒ 「薄桜鬼×はなの舞 コラボカクテル」
              はなの舞HPに飛びます






全部試してみたかったけど、まずは「歳三の怒り」から。

こちらはカシスの入ったカクテルですよ。

連れ二人もそれぞれに好きなものを注文。






お料理もよくあるものから、京都ならではのものまで

いろいろありましたね。

「おっ、メニューにこんなものまである。これ注文していい?」





と注文したのが、こちらです

京の宴♪
京の宴♪ posted by (C)ルンちゃん




「はも」と「万願寺ししとう」ですよ〜。

もう「はも」が出回る時期なんですね。

まさかここで食べられるとは思っていなかったので、

うれしいです。幸せ〜。






「万願寺ししとう」は、その大きさにビックリ!

こんな大きいししとうを見たのは初めてです。

1本が、お皿の端から端まであるんですよ。

土方さんのふるさと日野・万願寺を

連想させるようなネーミングも馴染みいいですね〜






美味しいものを食べながら、

池田屋で新選組談義に花を咲かせる3人。

でも時の過ぎるのはアッという間です。





もうすぐ2時間が経とうとする頃、

店員さんから「そろそろお時間です」の声が…





「近藤さんたちの池田屋での捕り物が終わったのか」と思ったら、

これ実は「お開き」の合図なんですね〜

池田屋は人気のお店なので、時間制になっているのです。

2時間経つとお会計になってしまうのでした。






しかたがないので、席を立ち、

ついでにさっきの2階へ上がってみます。

御用改めであ〜る!
御用改めであ〜る! posted by (C)ルンちゃん




階段は3階まで続いていて、

映画「蒲田行進曲」に出てくる巨大な階段に似ていて、

とにかく長い!

途中2階へつながる場所があって、そこから2階の

テーブルへと至る道は、右が坂本龍馬の絵、

左が新選組の絵が大きくありました。





その場所がちょうど、

休憩できるようなスペースにもなっていて、

大河ドラマ「新選組!」のビデオも流していましたよ。


注…それらの場所の写真も撮ってきたのですが、
  あなたが行くときの楽しみがなくなるので、
  アップするのはやめておきますね。
  どうぞその目で見て来て下さいね〜^^
 





そこでしばし休んでから、池田屋の外に出る3人。

こうして池田屋への潜入は、無事終わりました〜

今回、Kちゃんと私は初めての池田屋でしたが、思っていた以上に

楽しむことができましたよ。お料理も美味しかったし。





今回は3階のテーブル席までは足をのばせませんでしたので、

次回来たときは、3階でのお食事を楽しみたいですね〜。

って、もう行く気満々じゃん!




どうも、お粗末さまでした〜。

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京都での幸せなお食事時間

  • 2012/06/09(土) 00:52:24



気心の知れた友人に

「ルンちゃんて、食べ物の写真をよく撮るよね」 と言われました。

自分では意識していなかったけど、言われてみるとそうかな〜






美味しいものを食べると、幸せ気分になるんですよね

それで、その幸せ気分を残しておきたくて、

でも食べちゃったら目前から消えてしまうので、

「消える前に写真を撮っておこう」 と思うのかもしれません。






今回の京都旅行でも、いつものように写真を撮っていましたよ

せっかくなので、備忘録として記事アップすることにしました。

もしよかったら、あなたが京都に行ったときの

参考にでもしてみて下さいね♪






まずは甘味処から。

こちらは『鍵善良房』です

四条通りにある京都で有名な和菓子屋さんで、

江戸時代・享保年間から営業している老舗なんですよ。

かぎ善良房
鍵善良房 posted by (C)ルンちゃん
店構えも、雰囲気があっていいですね〜^^





元の屋号は「鍵屋良房」といったそうで、

ご当主の名前には代々「善」の文字が入っていました。

それでいつしか「鍵屋の善さん」と呼ばれるようになり、

それが転じて「鍵善」、後に再び「良房」がつけられて

現在の『鍵善良房』になったということです。






「良」と「房」の字が、沖田総司の諱(いみな)

「房良(かねよし)」と同じ字を使っているのと、

江戸時代からの創業というからみで、私のお気に入りのお店なんですね。

(沖田総司の諱については、過去記事 ⇒
 「沖田総司藤原房良」と「良房」






Kちゃんに『鍵善良房』の話をしたら、

行ってみたいとのことだったので、今回も訪れてみましたよ。

祇園町北側の本店と、高台寺表門前近くの支店がありますが、

今回は四条通りの本店に立ち寄りました。






ここは「くずきり」が名物です。

「くずきり」は昭和初期から出されたものなので、

新選組隊士らが食べたわけじゃありませんけどね。






「白蜜」または「黒蜜」のどちらかを選びますが、

今回は二人とも「黒蜜」で注文しました。

「くずきり」は味がすぐ変わるので、注文が入ってから作るそうですよ。






器の中で氷といっしょに揺れている「くずきり」は

よく冷えていて、汗ばむ陽気のその日には、

とても気持ちよく、そしてやさしい味でした。

ごちそう様でした〜






ここ最近、多忙と偏食により体調がいささか不調だったので、

「体に優しいものが食べたいな」とKちゃんに話したら、

このお店に連れて行ってくれました。





清水寺近くにある『羽柴』という京料理のお店ですよ

円山公園から清水寺に至る「ねねの道」の

高台寺塔頭・圓徳院山内の建物の中です。

店内から八坂の塔が見える、とてもステキな場所なんですね。






おしながきには、いくつかのセットがありました。

私達は湯葉が食べられるセットを選択。

運ばれたお料理の品々が色あざやかで、

それを少しずつ頂くのが楽しいですね。






このメニューのポイントは、

豆乳入りのおだしに生ゆばと水菜が入ったお鍋ですよ。

とろっとした食感にシャキシャキの水菜がマッチして、

すごく美味しい! ご飯も『とろとろ湯葉御飯』という、

お店の名物品にしてもらったところ、これがまた美味〜♪





ご飯の中に湯葉と生姜が入っていて、

おかゆみたいな食感です。生姜の風味も程よく、

体の芯から癒してくれる感じ。思わず

「体に優しい〜」と微笑んでいました。

『とろとろ湯葉御飯』はクセになりそうです。また食べに行きたいな〜

羽柴でのお食事
羽柴でのお食事 posted by (C)ルンちゃん
最初に運ばれたお膳。
他にも次々と運ばれてきました^^






2日目の伏見で食べたのは、こちら『辨慶(べんけい)うどん』です。

京都にはいくつか同店のチェーン店があるそうですが、

私たちが入ったのは「淀店」です。

(伏見散策については、過去記事 ⇒
 井上源三郎の首級埋葬地へ




辨慶
辨慶 posted by (C)ルンちゃん




かやくご飯とうどんのセット。

思った以上にボリュームがありましたよ。

今まで味わったことのない感じのおだしですが、

また食べたいな〜と思う味です。





このお店には、各テーブルにノートが置かれていて、

品物が来るまでの待ち時間に、

お客さんが思ったことを書くみたいです。






要望なども書いてあるのですが、ひとつひとつ店長さんが

丁寧にコメントを書いているのですよね。

しかも、要望は真摯に受け止め、しっかり対応しているのがスゴイ。

お客さんのリクエストで生まれたメニューも

あるみたいですよ〜






ちなみに、今回頂いたうどんは「たぬきうどん」だと思うのですが、

こちら(関西)で「たぬきうどん」と注文すると、

「あんかけうどん」が出てくるそうです。






「あんかけうどんも美味しそうだよね〜

これは、関東もんのKちゃんと私の言葉。

今度来た時は、あんかけを食べようっと。

辨慶のうどん
辨慶のうどん posted by (C)ルンちゃん




「せっかく京都に来たのだから、

夜のお食事は豪勢にいきましょう!」

とやってきたのが、京都駅ビル・キューブ11Fの

おばんざいの店「京百菜」です。






実は最初は、町の中でお店を探していたのですが、

史跡めぐりで歩き回り過ぎて、気力&体力が限界になっていました。

それで京都駅ビル内にあるかなと思って見たところ、

ありましたよ、希望のお店が。

それが「京百菜」だったんですね。





夜ごはんなので豪勢に^^
夜ごはんなので豪勢に^^ posted by (C)ルンちゃん
他にも「おばんざい」の品が
テーブルに乗ってます^^






チョッと遅めの夕飯でしたが、

お店の前にはウェイティングの人たちが結構いましたね。

私達もその列に並んで、少し待ってから店内へ。

時間によっては、おばんざいのバイキングもあるようですが、

その時間はセットメニューから選ぶのだとか。






それで和牛のセットと、「たけのこ」が旬だったので

「たけのこの天ぷら」他数品を注文♪

テーブルには「おばんざい」他いろいろなものが並び、

京都での楽しい晩餐の始まり〜

そして京都旅行に乾杯!





こんな風に京都では、

日々の生活とは違ったお食事で楽しみました

旅先でのお食事は、その土地のいろいろなものが食べられるのが、

いいですね〜。 またの京都旅行の際にも、

史跡めぐり&お食事で、大いなる幸せ気分を味わいたいです。



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壬生を歩く

  • 2012/06/06(水) 00:26:56

京都史跡めぐり 3日目 〜その2〜


京都史跡めぐりも今回が最終回 

まずは3日目コースのおさらいです。※赤文字が今回の記事部分



西本願寺 − 島原/輪違屋・角屋 −
 

壬生/壬生寺・前川邸・八木邸 − 光縁寺  




島原を後にして、壬生へと歩きます。

この道は新選組隊士たちも、幾度も歩いた道ですよね。

私も京都に来るとよく歩きます





江戸時代は「壬生から島原の明かりが見えた」というほど、

なにもない所だったようですけど、今は建物が立ち並びすぎて

とても島原が見える状態ではありませんね〜。

でも歩いてみると距離は意外と近いんですよね。





程なく壬生へ到着。この壬生に来るのも8年ぶりですよ。

あの時は大河ドラマ「新選組!」の放送の真っ最中で、

通りには人が満ち溢れていましたね。あれは凄かった!




壬生界隈
壬生界隈 posted by (C)ルンちゃん
現在はこんな感じです。
あの頃とはえらい違い^^;






さすがに今はそこまで人はいませんけど、

それでも人は多かったですね。

数十年も前の壬生は、人もまばらで静かなものでしたけどね。





最初に訪れたのは壬生寺です。

沖田総司が子供達と遊んでいたというお寺ですね

ここには芹沢鴨や平山五郎、河合耆三郎他 数名の隊士の墓があります。

埋葬当時は壬生共同墓地に墓はありましたが、その後、寺の方に移し

昭和になって「壬生塚」と呼ぶようになりました。


近藤勇像
近藤勇像 posted by (C)ルンちゃん
壬生塚にある近藤勇の像。
最初に訪れた学生時代の頃から変わらないな〜^^





以前は無料で入れましたが、現在は有料。

入口で入場料を払うという形態になってから、

もうずいぶん年月が経ちましたね。





基本的には変わっていないのでしょうが、

来る度に風景が変わっているのが、この壬生寺ですね。

幼稚園ができたり、本堂の様子が変わったり。

今回は敷地内にデイホームがありましたよ。

次回の訪問では何ができているでしょう?



壬生寺
壬生寺 posted by (C)ルンちゃん




壬生寺にはここだけの新選組グッズがあります。

友人のおみやげ用に「あぶらとり紙―土方」を購入しました。

表紙に近藤・土方・沖田の各々のイラストがついているんですよ。

自分用にも「沖田」を購入 イラストが

「沖田総司の写真」といわれ出回っている

あの顔にそっくりだったので(笑)






八木邸訪問の前に『旧前川邸』へ。ご存知、新選組屯所跡です

こちらは玄関先を開放していて、そこで新選組グッズを販売していますよ。

以前来たときより売り場が広くなっていて、

グッズも増えていたのでビックリしましたね。

ここでは、土方歳三の写真付のボールペンを購入。

旧前川邸
旧前川邸 posted by (C)ルンちゃん




旧前川邸(現在は田野様宅)では3月に

山南忌という山南敬助の法要を行っています。

この時には一部、建物内も見学ができるそうです。

私も法要に参加したいと思っているのですが、いまだ叶わずにいます。

いつの日か、機会があるといいのですけどね…






そして『八木邸』

近藤らが壬生浪士隊としてやって来たとき、

最初に宿泊していた所。そして芹沢鴨の最期の地。





新選組屯所だった八木邸は、今は室内見学もできますが、

覗いてみたら見学者がいっぱいで入れませんでした

しばらく待つことにして、入口の椅子に座って一休み。

こういう時間もいいものです



八木邸
八木邸 posted by (C)ルンちゃん


勝手知ったる八木さんちに入り(8年前に見学したから^^)

一通り室内見学します。

室内の間取りも当時のままなのでしょうが、私はお庭の方が好きですね。

古い井戸と苔むした庭。今にも板戸から新選組隊士が入ってきそうな

どこか懐かしい空間です






見学の後は屯所跡隣にある 八木さんの和菓子店

鶴屋鶴寿庵で「屯所餅」とお抹茶を頂きました。

「屯所餅」は壬生菜が入っていて美味しいですよ。

もちろんお土産に買いました。

こちらでは新選組グッズも購入できます。





壬生から『光縁寺』へ。

この道は昔とあまり変わりませんね。

この、のんびりした雰囲気が好きです。

壬生からゆっくり歩いても5分くらいの道を

Kちゃんと新選組の話をしながら歩きます。

まもなく「光縁寺」に到着。



光縁寺
光縁寺 posted by (C)ルンちゃん




光縁寺の家紋と、山南敬助の家紋が同じだったことが縁で、

新選組隊士たちを埋葬することになった といわれるお寺ですね。

山南さんも私達のように、あの道を歩いてみたのでしょうね。





私も学生時代から幾度となく訪れている場所で、

来るたびに本堂に上がらせていただき、

新選組への想いに時間を費やす思い出の場所です。

新選組好きがここへくれば、同じような経験があるのではないでしょうか。

もちろん、Kちゃんも同様でしたね





ここには山南敬助や、松原忠司・田内知ら隊士の合同墓があります。

それから「沖田氏縁者」の女性のお墓。

山南さんのお墓は、以前は表面がひび割れて

崩壊寸前の痛々しい様子でしたが、

現在は修復されて、なんとか文字がみえるようになっています。






壬生界隈を見て歩いて、史跡めぐりは完了。

そして次なる目的地は「近清」さん 

以前、このブログでも紹介した

「新選組が食べたお漬物」を売っているお店です。

お店は「中京区西洞院蛸薬師下ル」にあるので結構歩きますが、

碁盤の目の町なので初めてでも大丈夫。迷わずに到着です




新選組が食べたお漬物
新選組が食べたお漬物 posted by (C)ルンちゃん



「近清」さんは江戸時代、西本願寺に漬物を納品していたそうで、

その関係で新選組にも漬物を運んでいたそうなんです。

今回も、以前お取り寄せした「しば漬け」と「沢庵」他を購入。

ここの「沢庵」は甘くなく、しばらく置くと酸味が増す漬物です。





土方さん好みの「沢庵」じゃないかもしれませんけど、

これをお茶漬けにすると美味しい

職場のお土産にもしたけど、もっと買ってくればよかったな〜。





その後、木屋町辺りを歩き、

1日目に行きそびれた「しる幸」でランチしようと行ってみる事に。

ところが既にランチタイムは終わり、「準備中」の看板が掛かっていました。





本日の史跡訪問地は少なかったのですが、

1箇所ごとにすごく時間をかけて見たので、間に合わなかったのです。

またしても食べそびれてしまった〜。う〜ん、残念!!

この無念さは次回の京都訪問に持ち越しですよ

けっきょく近くの別のお店でゆっくり食事をとった後、京都駅に戻りました。





こうして3日間の京都訪問が終了しました。

(いや〜、まとめるのにかなり時間がかかってしまった

いっしょに行ったKちゃん、2日目に同行いただいたSさん、

お疲れ様でしたぁ(業務連絡)






今回の旅は、初めて訪ねた場所もかなりあったので満足しています。

でも、行きたいと思って行かれなかった場所もまだあるので、

是非また訪ねたいですね。






いつもなら、その土地に行って数日過ごせば、とりあえず満足して

しばらくはその地に行きたいという気持は収まるものなんですが、

今回は帰宅したその日からすぐ、

「また京都に行きたい!!」という気持が湧いています。

その気持は1ヶ月以上経った今でも変わりませんね。





だからルンちゃんとしては、京都へ再び行くことも

遠からずあるように思えます。ふふ…いつになるでしょう

その時はまた、いろいろと計画して楽しい時間を過ごしたいですね。

もちろんブログにも記事アップしますので、

どうぞまたの機会をお楽しみに…


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夢の宴・夢の跡

  • 2012/06/03(日) 22:44:29

京都史跡めぐり 3日目 〜その1〜


京都の旅も3日目。いよいよ最終日です。

最後の日はこんな場所に行ってみました。※赤文字が今回の記事部分




西本願寺 − 島原/輪違屋・角屋 


− 壬生/壬生寺・前川邸・八木邸 − 光縁寺
  




宿泊所から京都駅までは歩いて5分ほどの場所だったので、

駅ビルの地下コインロッカーに荷物を預けてから、

最初の目的地、西本願寺へ向かいます。




西本願寺までは朝の空気を感じながら、歩きましたよ

Kちゃんとの京都旅行は初めてですが、

今日のコースはお互いに何度も行っているところなので、

道々新選組の話や、お互いに訪れた頃の話をしながら歩きます。






清々しい風の中、西本願寺に来てみれば、すでに沢山の観光客の姿が。

やはり春の季節は、京都を訪れる人が多いですね。

冬の季節に訪れることの多いルンちゃんには、驚きの場面かも。

(冬の京都は人が少なくて静かなイメージなので^^;)





西本願寺は、新選組が2番目に屯所にしていた場所ですね。

島田魁さんが、晩年に守衛をしていた場所でもあります。

太鼓楼辺りをゆっくり見てまわり、

彼らが闊歩している様子などを想像してみます。



西本願寺
西本願寺 posted by (C)ルンちゃん




境内のイチョウは江戸時代にもあったもので、

「元治元年の大火の際にも火の粉を浴びながら生き抜いた」

と看板にありました。これって禁門の変のことですよね。

隊士達が引っ越してきたのは、その後のこと。

このイチョウはそんな彼らを見ていたのですね。





本堂でおまいりをしてから北門へ。そのまま、島原方面へと向かいます。

京都の道を歩くのはいいですね〜

少し脇道に入ってみると、昔からの町並みが現われ

京都らしい雰囲気を味わうこともできますよ。





「こっちの方」と見当をつけてのんびり歩いていたら、

不意に島原の大門の前に着きました



島原の大門
島原の大門 posted by (C)ルンちゃん



ここへは何度来たことでしょう。個人的にも懐かしい場所です

古写真にも載っている島原の大門。

周辺で江戸時代を思わせる建物は、この『大門』と

『輪違屋』と『角屋』くらいしか残っていませんよね。

それらの建物だけでも、いつまでも残っていて欲しいです。





大門をくぐってチョッと行くと、右側の路地に輪違屋が見えます。

輪違屋は今も営業している「置屋」さん。





そのまま、まっすぐ歩けばもう1つの門跡へ。

近くには神社もありますよ。

周辺散策した後、角屋まで引き返します。

角屋は江戸時代「揚屋」だったお店で、明治5年にお茶屋さんに変わって、

昭和60年まで宴会場として営業していたようです。




昔は入ることなんて出来ませんでしたけどね。現在は

「角屋もてなしの美術館」として見学が可能です

角屋の碑
角屋の碑 posted by (C)ルンちゃん

角屋の説明板
角屋の説明板 posted by (C)ルンちゃん
英語の解説部分にも「shinsengumi」の文字が。
外国人はどんな風に新選組を理解するのでしょう?





じつは以前来た時に、1階部分は見学したことがありました。

「ここに新選組も来ていたんだ」と思うと嬉しかったですね。

でも肝心の2階は、予約制なので見られませんでした。

今回はしっかり事前予約していたので、念願叶って2階の見学です♪





予約時間15分前に到着、そして受付へ。

荷物をコインロッカーに預けて集合場所に行き、

定刻時間となり、いよいよ見学開始〜





閉じられていた2階へ通じる襖が、目の前で開かれます。

その瞬間、なんともいえぬ喜びが湧いてきましたよ。

そしてゆっくり階段を上がります。視界が開けたと思ったら、

目の前に大広間が現われました。





実際のお座敷の時は、

ひとつひとつの部屋は襖で仕切られていて、

それぞれのお部屋には、裏部屋の方から入ることもできるそうです。

その全部の襖を取り払って、こうして大広間として

使用することも可能なんだとか。思っていた以上に広い空間ですよ。

※お見せできないのが残念です。
 2階は撮影禁止なので…^^;




角屋全景
角屋全景 posted by (C)ルンちゃん
この道路側の2階部分の部屋が
ひとつのお座敷(大宴会場)にもなるんです^^




まず入口から入って左には「緞子(どんす)の間」

その前に座り、解説員さんの説明を聞きます。

23畳の広い空間。奥には違い棚が見えますね。

障子の模様も複雑で、遠くからでも

手の込んだお部屋だということがわかりますよ。





次に「翠簾(みす)の間」 

ここには名前に由来する御簾が架かっています。

それから「扇の間」へと続きます。

ここの天井の扇模様は圧巻ですね〜。

壁の色が「九条土」を使った浅葱色というのも斬新な感じです。





次々と案内されるお座敷は、それぞれに特徴があり、

襖絵・壁・天井・釘隠し等、ひとつひとつ見ているだけでも楽しいですね。

「檜垣(ひがき)の間」の巧妙な波型障子にいたっては、

それはもう、目の錯覚でおきる不思議さと共に、

先人の技術水準の高さに、ため息が出る程でした。

すごいな〜、こんなところで遊んだ人達が羨ましい。





でもひとつだけ難点を言ってしまえば、照明だった蝋燭のススのために、

唐紙の図柄が黒く見え難くなっているところですね。

もったいないな〜。当時はどれだけ絢爛豪華だったものか、

想像すると再びため息が漏れそうです。





そして最後に、私が一番見たかったお座敷に到着。

それは「青貝の間」なんですね〜

この部屋のことは以前から、人の話や新聞記事で知っていて、

見学をすごく楽しみにしていましたよ。





ここのすごいのは、部屋一面の螺鈿(らでん)細工ですよ。

夜光貝の貝殻の七色に光る部分を、ふんだんに使用し、

花や鳥や様々な模様をかたどっています。

それらが一面に乱舞している様子は、本当に別世界にきたようですね。

またその細工ひとつひとつが丁寧な仕上がりで、

できれば1日中かけて、細工を逐一じっくり見ていたいところです。





そんなステキなお部屋なんですけどね、

この部屋の床の間には、ビックリするものがあるのですよ。

それは刀傷なんです。なんでも新選組がつけたらしい…

床柱の大きな刀傷は遠くからでも、すご〜く目立ちます。





新選組びいきの私でさえ「なんて無粋な奴らなんだ

と思ってしまうほど、それはあまりにも無残なものですよ。

これじゃあ、お店の人が「イヤな客」と思うのも

無理ない事かもしれません。





解説員さんは、そうは思っていないかもしれませんが、

彼女が新選組の迷惑な話をする度に、チョッと心が痛みます。

「すみません」と、身内の粗相をわびるような気持ちになるのは、

やはり新選組が好きだからかしら…。チョッと複雑…





「青貝の間」は、窓からの眺めがステキですよね。

露台(=テラス)があって、ここから自慢のお庭がよく見えます。

ずーっと見ていたかったけど、係員さんに促され1階へと戻りました。





1階では、「青貝の間」から眺めた「臥龍松(がりょうしょう)」が

正面に見える「松の間」を見学。ここは芹沢鴨が暗殺される前、

「最後の宴」を開いた場所といわれているそうです。

ほら、よく映画やドラマに出てくる、あのシーンですね

(ということは、土方さんや沖田さんも来ていますよね^^)






現在植えられている松は二代目の「臥龍松」なので、

芹沢さんたちが見たものとは違うようです。

でも、似たような風景は見ていたのでしょうね。

芹沢さんらはこの景色を見ながら、

どんなことを考えていたのでしょうね?





こうして角屋のすべての見学を終え、建物から退出しました。

2階を見ることができた大きな満足な部分と、

まだ見足りないような、少しの未練が心に残ります。

でもまた京都に来た時に、見に来ようと気を取り直し。




角屋を後にした二人は、壬生へ向かいます

次回に続く

角屋の外の刀傷
角屋の外の刀傷 posted by (C)ルンちゃん
これは建物の外のキズ。
これも新選組がやったらしい^^;



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井上源三郎の首級埋葬地へ

  • 2012/05/22(火) 23:36:32

京都史跡めぐり 2日目 〜その3〜

前回の続き、まずはコースのおさらいです(赤文字が今回の記事部分)



御香宮神社 − 伏見奉行所跡 − 伏見/会津藩陣屋・魚三楼など − 藤森神社 −

淀小橋跡 −
 井上源三郎首級埋葬地 − 納所会館 − 妙教寺 − 愛宕茶屋埋骨地 − 

淀堤千両松激戦の祉碑 − おせき餅 − 池田屋跡





淀小橋跡から大阪街道を歩いて、目的の場所へと向かいます。

その地を訪れることが、この旅の一番の目的でもありました。




土方歳三と同郷の井上源三郎は、

鳥羽伏見の戦いで戦死しましたが、

源三郎の甥で同じく新選組隊士だった井上泰助が、

その場から叔父の首級と刀を持ち去ったのです。




しかしまだ11歳の泰助には、その首はあまりに重く、

仲間たちから遅れがちになります。終いには他の隊士に諭され、

不本意ながらも、ある寺の門前の田んぼに埋めたのでした。




井上泰助が亡くなった後(昭和初期)、

井上源三郎の首級埋葬地は、ずっと不明のままでしたが、

源三郎の140回忌にあたる2008(平成20)年、

その場所があきらかになったのです。




当時、新聞にも載りましたよね。

公表される直前に「井上源三郎資料館」に行ったときに、

館長さんらからそのお話をお聞きしましたよ。

古地図の写しや現地の写真なども見せていただいて、あの時から

「ぜひ、その場所に行ってみたい」と思っていたのです。

その思いが、ようやく叶いました。




辨慶
辨慶 posted by (C)ルンちゃん
ここのうどんが美味しかったです





泰助が目印にした欣浄寺(ごんじょうじ)という寺は、

平成の現在ではありません。古地図に残るのみです。

その欣浄寺の敷地の一部だったと思われる場所には、

今うどん屋さんがあります。(昼食はその店でいただきました)

古地図で方角を確認し、源さんが眠っているあたりに行って合掌…






再び歩き、5分位の所にある「納所会館」に到着。

ここは町の集会所みたいですね。

その入口にお目当ての碑はありましたよ。

表面には「戊辰役戦場祉」の文字があります。

そして左側面には「岩清水八幡宮」

右側面は「城南離宮」までの距離が記され、

この碑が道しるべの役割もしていたことがわかります。




戊辰役戦場址
戊辰役戦場址 posted by (C)ルンちゃん

戊辰役戦場址の碑
戊辰役戦場址の碑 posted by (C)ルンちゃん




なんでも「愛宕茶屋埋骨地」近くの堤防にあったものを、

こちらに移動してきたのだとか。

川の流れを人工的に変えてしまったので、

その工事の際にこの場所に移されたのでしょうか。





街道歩きをしていると、こんな風に

実際にあった場所からまったく別な場所に

碑などが置かれてしまっているのをよく見かけます。

それで碑自体の意味がわからず、後で調べるはめになるのですが…





できれば移動せずに昔からの場所にあって欲しいものですが、

区画整理などの理由で、碑自体が壊され失われてしまうよりは、

まだ良いのかもしれませんね。今だってこうして見られるわけですし…




「妙教寺」へ向かいます。歩いてもあまり遠くはありません。

このあたりは戦いが激しかったようで、

当時の弾が行き交う話も残されているようです。




「妙教寺」の本堂にもそんな被弾の跡があるそうですよ。

幕末関連の本に、その写真が載っていることがありますよね。

私も何度か写真では見ていますが、実物は見ていません。

現地に来たので見たいところですが、現在このお寺は非公開なんだそうです。

残念〜





ちなみに、連れの二人は以前来たときに見学していて、

私のために内部の様子をいろいろ教えてくれました。

境内には「戊辰之役東軍戦死者之碑」があり、

こちらは今も見ることができますよ。(じっくり見ました)

碑の裏には「子爵榎本武揚書」の文字もありました。




戊辰之役東軍戦死者之碑
戊辰之役東軍戦死者之碑 posted by (C)ルンちゃん

戊辰之役東軍戦死者之碑の裏面
戊辰之役東軍戦死者之碑の裏面 posted by (C)ルンちゃん




鳥羽街道(千本通)沿いの土手近くに、東軍戦死者の埋骨地があります。

この周辺にはこうした碑がいくつかあるようですが、

その中のひとつが「愛宕茶屋埋骨地」です。

名前のとおり昔はここに愛宕神社の祠があり、

渡し場のあったこの場所には、

疲れた旅人の憩いの場でもある茶屋がありました。



目印の大銀杏
目印の大銀杏 posted by (C)ルンちゃん


以前は大きな銀杏の木があったそうで、

それがここの目印にもなっていたようです。

でも今は短く伐採され、しかも行ったのが

若葉の季節だったのであまり目立ちませんね。

この埋骨地には35人の幕府軍の人々が眠っています。

合掌…


愛宕茶屋埋骨地
愛宕茶屋埋骨地 posted by (C)ルンちゃん




ここから「淀堤千両松激戦の祉碑」までは

かなり距離がありましたが、やはり歩いてその地まで行きました。

しかも京都競馬場に隣接している場所にあり、柵があって

大きく迂回しなければその場所には行かれません。

現地の看板を見て途方に暮れながらも、歩くしかないので歩きます




戊辰役東軍戦死者埋骨地の碑
戊辰役東軍戦死者埋骨地の碑 posted by (C)ルンちゃん




その日は競馬場で大きなレース(天皇賞)があり、

史跡に着いたちょうど同じ時刻にレースが終了したようで、

競馬場から沢山の人が出てきました

碑は駐車場に隣接しているので、人がどんどんやってきます。





しばらく人が途切れることがありませんでした。

もっと静かな場所をイメージしていたのでビックリです。

何とか人の途切れるのを待って、写真を撮りました。





ここは千両松の激戦地で、

新選組もこの辺りで戦ったといわれています。

昔は淀堤の一部で、名前の通り松並木が見事でした。

でも今はどこを見ても堤らしいものはありませんね。





川の流れを人工的に変えたとき、

ここにあった堤もその役割を終えました。

競馬場造成の際(昭和40年代)に、この周辺にも工事の手が入りましたが、

その工事の最中に、「奇怪な現象が起きた」というのは有名な話です。





新選組隊士らしい幽霊を見た という人もいて、

よく調べてみたら工事の際に、供養石に気がつかず

ないがしろにしてしまったのが原因ではないかと思われました。

それで競馬関係者らによる供養が盛大に行われ、

不思議なことに、それ以降現象はおさまったということです。




埋骨地碑
埋骨地碑 posted by (C)ルンちゃん




競馬関係者によるご供養は、今でも続けられているのでしょうね。

碑には、立派なお花が供えられていました。

話ではいつもここには、お花が絶えないのだとか。

碑は京阪線沿線にあるので、電車の車窓からも見られます。

帰りの電車の中からも見え、その場所に目礼をしました。

こうして源さんの眠っている地をあとにしたのです。




「おせき餅」のお店には、本当は午前中に行くつもりでしたが、

時間的な余裕がなかったので、帰りに立ち寄りました。

最寄の駅から、タクシーを使ってお店まで。




本店と支店があって、「どちらに行きますか?」

の運転手さんの質問に、迷わず「支店へお願いします」と答えます

ここは「近藤勇も買いに来た」といわれているお店なんですよ。

昔からあったのは鳥羽街道、つまり支店のある方の道なので、

もちろんそちらへ行きました。


おせき餅
おせき餅 posted by (C)ルンちゃん
お餅は店内でも食べられます^^






江戸時代に、おせきさんという娘さんが

お餅を編み笠の裏にならべて、

茶屋で旅人にふるまったのが始まりといわれます。

つぶあんのあんころ餅です。





閉店時間ぎりぎりでしたがどうにか間に合い、一箱購入しました。

本当はその場で食べたかったのですが、

それは次回のお楽しみということに。





伊勢名物の「赤福」にも似ていますが、つぶあんなので

もっと素朴な感じです。私は「おせき餅」のほうが好きですね〜。

甘さも程よく、あっという間に食べてしまったので、

もっと買ってくればよかったと思いました。

また京都に来たら立ち寄ろうっと…





ちなみに、美味しそうな「おせき餅」を

ブログに載せようと思ったら、持ち運ぶ時に

傾けてしまったようで、形がくずれてしまいました。

そんなわけで、おせき餅に興味があったら、

こちらのHPを見てみて下さいね


⇒ おせき餅 HP





Sさんが居酒屋に予約を入れておいてくださったので、

PM6:00に池田屋へ。池田屋の跡地は今は「居酒屋池田屋」です。

跡地にこんなお店ができるなんて、幕末の誰が想像したことでしょう?

しかも今、すごい人気のお店なんだそうです。

予約しないと入れない場合もあり、時間も2時間まで。





なんとか池田屋に潜入(?)して、

今日歩いたコースを確認しつつ、新選組談議に花を咲かせます。

こうして京都の2日目の夜は更けていきました


次回に続く…

池田屋!!
池田屋!! posted by (C)ルンちゃん

池田屋騒動の地碑
池田屋騒動の地碑 posted by (C)ルンちゃん


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近藤勇が腰痛治癒祈願をした神社

  • 2012/05/18(金) 00:03:58

京都史跡めぐり 2日目 〜その2〜

前回の続きです。まずは2日目のコースから。(赤字が今回の記事部分)




御香宮神社 − 伏見奉行所跡 − 伏見/会津藩陣屋・魚三楼など −
 藤森神社 −

淀小橋跡
 − 井上源三郎首級埋葬地 − 納所会館 − 妙教寺 − 愛宕茶屋埋骨地 − 

淀堤千両松激戦の祉碑 − おせき餅 − 池田屋跡




キザクラ〜^^
キザクラ〜^^ posted by (C)ルンちゃん






キザクラカッパカントリーで少し休憩をしてから、

京阪本線「伏見桃山」駅まで戻ります。

途中には、『伏見土佐藩邸跡』もあったので、

そちらもチョッと立ち寄りました。



伏見土佐藩邸跡
伏見土佐藩邸跡 posted by (C)ルンちゃん
碑しかないので、よく見ないとわかりません^^;






京阪本線で京都方面へ「藤森」駅まで戻ります。

そこから歩いて5分くらい。

『藤森神社(ふじのもりじんじゃ)』
に到着です。

敷地では縁日の準備がされていました。

「ゴールデンウィークだから?」と思いましたが、

どうやらお祭りみたいなんですね。







実はこの神社、「菖蒲の節句発祥の地」なんだそうですよ。

5月5日に「藤森祭(深草祭)」というお祭りがあります。

節句に飾る武者人形には、この藤森の神様が宿るといわれていて、

江戸時代には朝廷や幕府からも御下賜や献上品があり、

武運長久の祈願も行われていました。







藤森神社には本殿・東殿・西殿があり、

それぞれに複数の御祭神が祀られています。

本殿に祭られている神様のおひとり「神功皇后」が、

新羅から凱旋なさった時に

軍中の旗 (纛旗「とうき」)を立てられたのが、

この神社の始まりといわれています。







その発祥の地点(お旗塚)には、今もイチイの木の切り株があり、

「いちのきさん」と呼ばれています。

この「いちのきさん」にお参りすると腰痛が治るといわれていて、

「新選組の近藤勇も参拝して腰痛を治した」

という言い伝えがあるそうですよ


藤森神社のイチイの木
藤森神社のイチイの木 posted by (C)ルンちゃん


いちのきさんの看板
いちのきさんの看板 posted by (C)ルンちゃん
近藤先生の名前があったので、写真をパチリ!






近藤勇が腰痛だったなんて知りませんでしたね〜。

(聞いたことある気もするけど…^^;)

胃痛に引き続き、体調不良でいろいろ苦労していたんですね。

それにしても参拝するだけで腰痛が治るなんて、すごいご利益ですね。

私は腰痛持ちではありませんけど、今後腰痛になったときのために

先にお参りをしておきました。これで将来万全です








東殿には日本最初の学者である舎人(とねり)親王が祀られているので、

学問向上にもご利益がありますよ。それから、

室町時代からの騎馬神事「走り馬(駈馬)」というものもあって、

その絡みで11月に競馬関係者も多数出席するお祭りもあるようです。







ちなみに敷地内には、歴代の有名な競馬ウマの絵馬も奉納されていて、

競馬ファンには嬉しい場所になっていますね。

(ナリタブライアンの絵馬もあったョ^^)

彼らはこの神社で勝運の神様にお祈りしてから、

淀の競馬場に向かうのだそうです。





私達も勝負のため…じゃありませんけど、

京阪本線「藤森」駅から再び「淀」へ向かいます





「淀」駅にて、京都在住のSさんと合流。

伏見についてもすごくお詳しい方なので、

ここから新選組にも関わる場所を、いろいろ案内していただきました。

3人旅の始まり〜


淀小橋跡
淀小橋跡 posted by (C)ルンちゃん
左側の今は道の部分に、橋が架けられていたそうですよ。


淀小橋の碑
淀小橋の碑 posted by (C)ルンちゃん
碑は最近になってできたものです。




最初に訪れたのは『淀小橋跡』です。

昔の宇治川に架かっていたという橋で、鳥羽伏見の戦いの時

幕府軍が淀城に向かう途中で渡った橋です。

その際、追っ手から逃れるために橋は焼き払われたのだとか。

でも頼みの淀藩は既に恭順の姿勢を取り、

幕府軍を入城させなかったのは、ご存知の通り。






「淀小橋跡」を後にして、

この旅一番の目的地へ向かいます。

次回に続く…


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鳥羽伏見の戦いの地

  • 2012/05/13(日) 23:33:20

京都史跡めぐり 2日目 〜その1〜

京都史跡めぐりの話の続きです。

京都2日目。町家の小窓から見る空は良い天気です。

しかも、暑くなりそうな気配。






この日のコースは、かなり過激なスケジュールだったんですよ。
(赤字が今回の記事部分)

御香宮神社 − 伏見奉行所跡 − 伏見/会津藩陣屋・魚三楼など
 − 藤森神社 −

淀小橋跡 −井上源三郎首級埋葬地 − 納所会館 − 妙教寺 − 愛宕茶屋埋骨地 − 

淀堤千両松激戦の祉碑 − おせき餅 − 池田屋跡
 





伏見方面がメインですよ。

伏見は学生時代に寺田屋へ行ったくらいで、

ほとんど足を運んだことがありません。

ですから、すごく楽しみでした





まず、今夜の宿は別な場所なので、

宿で朝食を摂った後チェックアウトを済ませて、次の宿へと向かいます。

といっても歩いて10分位の場所なんですけどね

「平安坊」という、これまた町家風の宿に荷物を預けて、いざ出発!






京都駅から近鉄京都線で桃山御陵前駅まで行き、

そこから歩いて『御香宮神社』に向かいます。

この辺りは、以前来た事があるというKちゃんの案内です

私はついていくだけなので、楽チン♪



御香宮神社
御香宮神社 posted by (C)ルンちゃん


5分位で到着。

よく写真で見た風景が現われました。

伏見は豊かな水のおかげで酒蔵も多い。

奉納された酒樽の数でもわかりますね。




御香宮神社の奉納酒
御香宮神社の奉納酒 posted by (C)ルンちゃん





『御香宮神社』はよい香りのする泉が湧いたことから

名付けられた名称です。

さぞかし美味しい水がいただけるのだろうと、湧き水も飲んでみました。

クセがなく美味しい〜



これが香りのする水?
これが香りのする水? posted by (C)ルンちゃん
「水占い」というのもありました。
浮かんできた文字は…



由緒ある御香宮神社は、鳥羽伏見の戦いの際には

薩摩藩が陣を敷いた所でもありました。

沿道に並ぶ灯篭には「正保2年」という文字もみられます。

調べてみたら1645年ですって。

もちろん鳥羽伏見戦の時にはあったものですね。



御香宮神社の灯篭
御香宮神社の灯篭 posted by (C)ルンちゃん
沢山の灯篭が並んでいました。

  
           伏見の戦跡碑
           伏見の戦跡碑 posted by (C)ルンちゃん


伏見の戦跡の看板
伏見の戦跡の看板 posted by (C)ルンちゃん
「土方歳三」の文字もみえますよ。




ここは安産の神様なのに、ある意味正反対な「戦さ」

というものに関わりのある場所になってしまいました。

でも再び穏やかな風景に変貌し、今は

赤ちゃんを連れた家族が沢山訪れる場所になっています。

なんだか ほっとします。







ここから歩いて『伏見奉行所跡』に向かいます。

歩いてみるとよくわかりますが、ちょうど『御香宮神社』辺りが高台で、

伏見奉行所はその下のほうになっていますよ。

陣地を取るなら高いところの方が何かと有利なので、

そう考えるとやはり『伏見奉行所』陣地はつらいな〜

土方さんの苦い顔が思い浮かぶようです。







そんな伏見奉行所跡は、今は団地になっています。

この辺り一帯の住所には「−奉行町」という名前が付いていて、

地元の方の熱い想いもあるのでしょうか、団地の造りにも

すごくこだわっているという感じですね。


伏見奉行所跡
伏見奉行所跡 posted by (C)ルンちゃん





ここから近鉄線の線路を渡って西側へ。

京阪本線の伏見桃山駅近くに『魚三楼』という料亭があります。

こちらも伏見戦の話には、よく登場するお店ですね。

鳥羽伏見の戦いの時に流れ弾がかすったという格子が

今でも残されていて見ることができますよ。


魚三楼
魚三楼 posted by (C)ルンちゃん

魚三楼の被弾跡
魚三楼の被弾跡 posted by (C)ルンちゃん




『魚三楼』から寺田屋のある方面へ西に進むと、

伏見御坊があります。東本願寺伏見別院のことです。

ここは会津藩の駐屯地になった所です。

伏見奉行所から簡単に歩いていける距離です。






昔はもっと家が少なかったでしょうから、

もっと近くに感じたかもしれません。

山門と鐘楼、銀杏の木は、幕末当時のまま

今も残っています。



会津藩駐屯地跡
posted by (C)ルンちゃん





ここまで来たところでチョッと休憩。

この日はとても暑くて、水なしでは歩けません。

この辺りには月桂冠や黄桜の酒蔵がありますよ。

私達も立ち寄ってみました(飲酒目当てじゃないけど^^;)






今回立ち寄ったのは「キザクラカッパカントリー」です。

こちらでは、お酒のできるまでの解説や、

河童にちなんだ展示がされていました。

おみやげも売っているので、しっかり見てみましたよ。






「酒粕の金平糖」というのもあったので、

友達のお土産に買ってみました。

お酒も買いたかったけど、

これからの史跡めぐりの道のりは長いので、

ここで購入するのは断念。





まだまだ長い、本日の道のり。

次回に続きます。

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歴史館で気になっていたものを見た

  • 2012/05/11(金) 00:05:46

京都史跡めぐり 1日目 〜その2〜

前回の続きです





1日目のコースはこちらでした。

四条界隈 − 祇園会所跡 − 八坂神社 −
 月真院 − 

霊山歴史館 − 古高俊太郎住居跡







四条通りを過ぎ八坂神社を抜けて、東山へ。

京都に来ると必ず訪れるのが東山です。

私のお気に入りの場所でもありますよ。





二年坂・三年坂(産寧坂)をぶらりと歩きます。

途中気になるお店に入ったり、食事をしたり。






ここで立ち寄るのは月真院です。

東山を歩けば自然と通る道ですからね

月真院は、新選組から抜けた高台寺党の

伊東甲子太郎や藤堂平助らが屯所にしていた場所です。

その碑が門前にありますよ。でもそれ以外には

門の内側を見ても、彼らがいたという形跡はひとつもありませんけどね。



御陵衛士屯所跡
御陵衛士屯所跡 posted by (C)ルンちゃん



月真院前には、新たに像が増えていましたよ

沢山の通行人も立ち寄って見ていました。

清水坂には出ずに、もと来た道を戻って霊山方面へ向かいます。

近くには島田魁の墓のある「東大谷墓地」もありますが、

時間を考えて、本日は行かずに心の中で手を合わせます。






そして霊山歴史館

こちらに来るのも久しぶりですね

その日はちょうど春の特別展

「水戸学が開いた維新への扉 幕末精神をたどる」


を、開催していました。展示は二期構成で、

見学のときは第一期の最中でしたよ。






テーマが幾つか分かれていて

1.水戸学と尊王攘夷思想
2.龍馬を斬った刀
3.桜田門外の変
4.水戸藩士
5.水戸学と新選組
6.吉田松陰と松下村塾
7.水戸学と志士


となっていました。関連の絵や書簡、

パネルなどが展示されています。





「龍馬を斬った刀」では、数年前に

江戸東京博物館で開催された「龍馬伝」展で見たものが

展示されていました。刀もその時見ましたね。






今回、私達が霊山歴史館に来たのはお目当てがあってですが、

それはちょうど「水戸学と新選組」のコーナーにありましたよ。






ひとつは「近藤勇の直筆の掛け軸」です。

縦196センチ・横63センチの掛け軸で、

七言絶句の漢詩が書かれています。

これは3年前に京都市内の古美術商が、

大阪府内の旧家から入手したとかいうもので、

昨年10月にニュースにもなりましたよね






ニュースの様子は、こちらのブログでも紹介しましたが、

あの時は本物は見ることはないだろうと思っていたのですが、

念願かなって直接見ることができましたよ

「剣客士 近藤書」の字が、近藤勇らしくて微笑ましい。







そしてもうひとつも、昨年ニュースになった

「土方歳三が最後に残した辞世の句」
というものです。

霊山歴史館で収蔵していた資料を調査していたときに見つけたそうで、

島田魁の遺品の小冊子(綴り)の最初の部分に書かれていたものです。






鉾とりて 月見るごとにおもふ 哉

   あすはかばねの上に 照るかと







調査によって、霊山歴史館の木村学芸課長が、

「総攻撃前夜に開かれた五稜郭幹部らの惜別の宴の際に

土方が詠んだのではないか」と考察しています。

土方さんの書いた字でもなさそうなので、

誰か(島田さん?)が書き写したということなんでしょうか。






この綴りには、他にも幾つかの歌が載っていて、

降伏の後で謹慎中に詠まれた隊士たちの歌も入っています。

こちらのほうも、私達にはすごく興味のあるものでした。






「義をたて つくせしことも 水の泡

   打よす浪に消て ながるも」 




「きのふ迄 ともになびきし 一枝の

   柳をちらす 秋風そ うき」





さて、誰の歌でしょうか? じつは

上は横倉甚五郎、下は中島登の歌なんですよ

友人Kちゃんは以前から中島登のことを調べていますし、

私はといえば、彼らと同じ多摩出身ということで、

とても親近感を持っているのです。

ですから私達にとっては 「気になるふたり」 なんですよね。







どちらの歌にも無念さが満ちていて、

彼らのことを考えると胸が痛くなるような歌です。

二人の歌は歴史館ニュースで確認できますよ。

⇒ 霊山歴史館ニュース





さて、歴史館を出て東山をのんびり歩いた後は、

木屋町方面へ向かいます。

木屋町通りにも史跡がいっぱいありますね

土佐藩邸跡や本間精一郎遭難地の他、

お龍の独身時代寓居跡なんていうのもありました。





土佐藩邸跡
土佐藩邸跡 posted by (C)ルンちゃん







史跡の写真を撮りながら、解説板を読んでいると

地元のおじさんがやってきて、史跡について説明してくれました

きっと、いつもこうして観光客に話しているのでしょうね。






夕暮れの「しる幸」
夕暮れの「しる幸」 posted by (C)ルンちゃん


『古高俊太郎の住居跡』に来た頃には、

夕方の気配も漂ってきました。

この場所は現在「しる幸」というお食事処でもあり、

明かりがつくと、また昼間とは違った風情が楽しめます






ちなみに私は、このお店に入ったことがないので、

この旅では入りたいなと思いつつ、その日は断念。

期待は次の日へ…






こうして1日目の史跡めぐりは終わり、

東本願寺近くの本日のお宿に向かいます。

「御宿 にわ」
町家風の宿なんですね〜。


泊まったお宿「にわ」
泊まったお宿「にわ」 posted by (C)ルンちゃん





 
町家の間取りは東京人には、不思議な空間です。

「うなぎの寝床」という間口が狭く細長い空間。

それから中庭もあるしネ

宿でも中庭部分が工夫してあって面白かったです。






そして泊まったのは「清風」という名のお部屋。

榎本武揚が土方歳三のことを「清風」とたとえていたのを思い出し、

チョッとうれしくなってしまったのは、私たちだけかしらね


泊まったお部屋は「清風」
泊まったお部屋は「清風」 posted by (C)ルンちゃん




宿の半露天風呂でその日の疲れを癒し、

この旅一番のハードスケジュールが待っている、2日目に備えます。



京都史跡めぐり 2日目 〜その1〜 に続きます

夕暮れの京都タワー
夕暮れの京都タワー posted by (C)ルンちゃん
京都タワーを見ると、「京都に来たんだな〜」と実感します。
ライトアップのタワーは優しい感じ〜^^



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四条界隈は史跡の宝庫

  • 2012/05/07(月) 23:26:51

京都史跡めぐり 1日目 〜その1〜

ゴールデンウィークを利用して、京都へ行ってまいりました

私にとって、京都訪問は8年ぶりです。

ちょうどあの大河ドラマ『新選組!』放送の時以来なんですよね。

2泊3日というほんのひと時でしたが、見たものが多くて、

なにからお話したらいいのか迷ってしまうほどですよ。






それで記事アップも、遅れていたわけですけど…





なんとか数回に分けて記事にしてみますので、

新選組づくしの旅、よかったらご覧になってみて下さいね

ではさっそく、まいりましょ〜。





まずは1日目に行った場所のご案内です

四条界隈 − 祇園会所跡 − 八坂神社
 − 月真院 − 

霊山歴史館 − 古高俊太郎住居跡





コースとしては少ないですけど、

そこは新選組が誕生した場所ですからね。

界隈いたる所が、ゆかりの場所みたいなものです。

ですから立ち止まる所が多くて多くて…






東京駅の新幹線ホームでKちゃんと待ち合わせ。

Kちゃんは函館も一緒に行った、新選組史跡めぐりの相棒です

午前7時に出発して、9時20分頃にはもう京都。

ずいぶん京都までの時間が早くなりましたよね。

そこから地下鉄を利用して、あっという間に四条通りです。





四条大橋からの鴨川
四条大橋からの鴨川 posted by (C)ルンちゃん
久しぶりのいいお天気でした^^




こちらは四条の鴨川の様子ですよ。

京都に来たら、鴨川ははずせませんね

5月が間近なので、川床の準備もしているようです。

今はこんな感じで穏やかな風景ですけど、幕末は物騒な場所でした。





ちなみにこちらは『四条大橋』の様子です。

四条大橋
四条大橋 posted by (C)ルンちゃん




本当のところはわかりませんけど、

このあたりで沖田総司と永倉新八と斎藤一が

土佐浪士の那須盛馬と十津川郷士の中井庄五郎と出くわして、

斬り合いをしたという話がありますね。

新選組最強メンバー揃い踏みなんて、

想像しただけで身震いしそうです(うれしさで^^)






しかもその後斎藤は、紀州藩の三浦休太郎護衛のときに

襲撃してきた中井庄五郎と再び合間見えるという

奇遇に見舞われています。それが天満屋事件なんですけどね。





四条大橋では他にも、

新選組を中傷する立て札が建てられたこともあったようです。

そして、すぐそばにはこちらもありますよ。

南座です
南座です posted by (C)ルンちゃん

        南座の提灯
        南座の提灯 posted by (C)ルンちゃん


その昔、お芝居の最中に複数の新選組隊士が乱入してきて

ひと悶着起こしたというのが、この『南座』でした

あまりいいお話ではありませんけどね、

いろんな隊士がいたということでしょう。

そんな隊士たちをまとめなければならない土方さんは、

さぞかし大変だったでしょうね。






四条大橋から四条通りを東に進んでいきます。

そうして見えるのが『一力亭』のお茶屋さん。



一力亭
一力亭 posted by (C)ルンちゃん





大石内蔵助も来たとかいう場所ですね。 ←この辺はよく知らない^^;

昔は『万亭』とか『万屋』とか言ったそうですが、

仮名手本忠臣蔵が上演されるときに、幕府をはばかって

「いちりき」と呼んだとか。

「万」の字をわけて「一」と「力」。それで「いちりき」

それがそのまま、今の名前になったということです。





幕末ではこの場所で、近藤勇が各藩の周旋方のお歴々と同席し、

公武合体についての自分の意見を述べたのでした。

格式が高く一見さんは中に入れないので、外から写真だけパチリ。




八坂神社
八坂神社 posted by (C)ルンちゃん

東の突き当りが八坂神社で、

その向かいの今ローソンになっている所が『祇園会所跡』です。

池田屋事件の時、新選組が壬生屯所を数名ずつ出て、

この祇園会所で落ち合ったといわれていますよね。






『八坂神社』も新選組の話があって、

「谷三十郎が石段下で殺されていた」という話や

「大石鍬次郎の兄が新選組隊士に殺された」という話がありますが、

その出処は子母沢寛著の「新選組物語」なので、事実かは不明のようです。

(たぶん作り話)





でも八坂神社の北側は、実際に

壬生浪士組が相撲興行を主催した場所だといわれています。

相撲場面は「新選組!」にも出ていましたよね

相撲興行は確か壬生と、この場所の2箇所で行われたのではなかったかな。


円山公園
円山公園 posted by (C)ルンちゃん





四条通りは今も賑やかな繁華街ですけど、

こんな風に新選組関連の場所も沢山ありますよ。

ステキなお店もたくさんあるので、

史跡めぐりとお店めぐりで

いくら時間があっても足りないくらいです。

(今回載せていない史跡もあります)







そして東山方面へ。

お話は長くなりそうですので、次回に続きます


円山公園のさくら
円山公園のさくら posted by (C)ルンちゃん
今年は寒かったので、京の桜に間に合いました
見ることができて、とても嬉しかったです。



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