鎌倉 江の島七福神めぐり (その2)

  • 2013/01/18(金) 00:07:58

「鎌倉 江の島七福神めぐり」の お話の続きです。

まずはコースのおさらいからですよ〜



1.浄智寺 − 2.鶴岡八幡宮 − 3.宝戒寺 − 4.妙隆寺 − 

5.本覚寺 − 6.長谷寺 − 7.御霊神社 − 8.江島神社




6番目は、有名な長谷寺です



6.長谷寺(大黒天)


観光地としてもよく知られていますよね。

私も何度か来ています。参拝者も大勢ですね〜。

なんとなく雰囲気も他のお寺と違う感じです。


20130113-8



このお寺は、736(天平8)年、

つまり奈良時代に開創したと伝えられています。

「長谷観音」とも呼ばれるご本尊の「十一面観音菩薩」は、

楠の霊木で、二人の仏師が三日三晩をかけて彫られたものとか。




その像は当時2体あり、

1体は大和(現・奈良県桜井市)長谷寺のご本尊となりました。

そしてもう1体は祈請の上で海に投げたのです。

15年後、その像は相模国の三浦半島に流れ着き、

ご神体を鎌倉に安置して開いたのが、こちらの長谷寺でした。





十一面観音菩薩は本堂に安置されています。

そして大黒様のお堂はその隣りです。

こちらの大黒様は「出世大黒天」と呼ばれています。

そのためか、かなりの人が並んでいましたよ。

みんなご利益にあやかりたいのですね♪


20130113-9



長谷寺は高台にあるので、境内から海も見られます。

その眺めも素晴らしいので、訪れる人が多いのでしょう。

展望台から階段を降りて左に歩くと、洞窟があります。




そちらには弁財天なども安置されていましたが、

井の頭弁財天近くでも拝見した「宇賀神」が安置されていましたよ。

このブログでもお話したばかりだったのでビックリ。

いささかご縁があるのかもしれませんね。




次の場所へ移動します。

こちらは歩いてすぐの距離ですよ。





7.御霊神社(福禄寿)


「鎌倉権五郎神社(かまくらごんごろうじんじゃ)」

とも呼ばれるこの神社は、

平安時代後期に開創されたという神社です。

桓武天皇の末裔である、鎌倉権五郎景政を祭っています。





景政公は鎌倉湘南地帯を開拓した領主で、

鎌倉党という武士団の頭領でもありました。

後三年の役の際、16歳で出陣した源頼家に付き従い

大活躍をしたのがこの景政です。





かつてこの近辺には

「大庭氏」「梶原氏」「長尾氏」「村岡氏」「鎌倉氏」という

平家五家があったそうですよ。そして

その祖先を祀る「五霊神社」が建てられました。





それがいつしか「五霊⇒御霊」と呼ばれるようになり、

武勇で名高い鎌倉権五郎景政の一柱のみが

祀られるようになったのです。





この神社には変わった祭りがあるそうですよ

「面掛行列」といって、舞楽や田楽などで使用される

特異な面を十人衆がかぶり、昔のいでたちで

神輿と共に街中を練り歩くのです。





この祭りは神奈川県指定の文化財ともなっていて、

宝物殿には江戸時代に使われたお面が安置されています。

「ひょっとこ」や「おかめ」「翁」や「からす天狗」など、

10のお面がありますが、その中に福禄寿もあって、

これが鎌倉七福神の1つになっているんですね





この日は、お面のあるお堂の中に入ることができて、

ユニークなお面ひとつひとつを拝見することができました。

福禄寿が中心に安置されていましたよ。





この神社は江ノ電の線路のすぐ横にあって、

鳥居を抜けるとすぐ踏み切りなんですよ。

ですから鳥居の向こうにすぐ電車が通るのです






その神社と電車のミスマッチ(?)が面白いのか、

参拝者は電車が来ると写真を撮るんですよね〜。

みんながいっせいにシャッターを切っているのが、

これまた面白いです。


20130113-11



ついでながら、この場所は昨年放送されたTVドラマの

ロケ地でもあるのです。「最後から二番目の恋」というドラマで、

小泉今日子さん演じる「吉野千明」と、中井貴一さん演じる

「長倉和平」がお隣同士で住んでいる家がこの近く、

という設定でした。


20130113-10


実際にロケで使われていた家(の入口)があります。

門は違いますけど、雰囲気はドラマのままですね。

現在お住まいになっている方がいらっしゃるので、

中を覗いたりはしませんけど、今にも

千明達が出てきそうな感じです。





ドラマのロケ地だったことは、皆さんよく知っているようで、

この道を通る人はみんな、その場所で立ち止まっていましたよ。





踏み切りを通りすぎて通り道に出ると

「力餅家」というお店があります。ドラマついでにいえば、

千明が休憩していた場所です。「力餅家」には

「力餅」というお餅が売っています。




由来は、御霊神社の境内に「袂石(たもといし)」と

「手玉石(てだまいし)」というのがあって、権五郎景政は、

これらの石を軽々と持ち上げてしまうほどの力持ちだったそうです。



20130113-12


その力持ちにあやかろうと「餅」が供えられるようになり、

その餅が参拝者にも分け与えられ、それが「権五郎の力餅」

と呼ばれるようになったとか。





その力餅にあやかって、店名や商品に

「力餅」という名がつけられたらしいですよ。

ここのお餅は美味しいと評判で、店内には沢山のお客さんがいました。

本当は私達も立ち寄りたかったのですが、並んでいる余裕がなくて、

今回は素通りです。




会の「鎌倉七福神めぐり」はここで終わりです。

でも有志はここから、江の島へと向かいます。

なぜ江の島が必要なのかといえば、

御朱印の色紙が8ヶ所分あるからなんですよ。




この色紙ですと8ヶ所巡りになっていて、

ひとつ空いていると、間が抜けた感じなんですね。

ですから完成させるために江の島弁財天を目指します

時間は5時まで。間に合うかしら?





御霊神社の最寄駅、江ノ電の「極楽寺」に行き、

ここから江の島駅へ向かいます。

20130113-13

20130113-14



8.江島神社


「江の島」駅から歩いて江島神社へ向かいます。

しかし江の島大橋を渡っている時点で、

4時半の知らせが鳴っていました。





人も多くて先に進むのも、なかなか困難です。

5時までに到着できるのか不安になってきました。

参道でもあるお土産通りを抜け、江島神社の階段の前に来ます。





実は、この階段がキツイのですよ。しかも長い!

いつもはのんびり上がるのですが、

時間の都合で急いで上がらなければならず、大変





でもここで日頃の「高尾山登山」が役立ちましたよ。

思ったよりはスムーズに上がれて、一気に神社まで登れました。

途中、連れの方の色紙を託されましたが、無事御朱印所にゴール!

御朱印をお願いしている間に本堂での参拝も済ませ、

全部の御朱印が完了しました。



20120114



どうです。なかなか立派でしょ!

やはり全部の御朱印が揃うと全体が締まり、

いい感じですね。

20130113-15

20130113-16


その後はのんびりと江島弁財天を拝見。

こちらは本堂と違い、のんびり拝観できました。

江の島の弁財天は、琵琶湖の竹生島・安芸の宮島と共に

日本三大弁財天と呼ばれています。





お堂には二体の弁財天が祀られています。

一体は妙音弁財天で通称「はだか弁天」と呼ばれている方。

こちらの方が有名でしょうか。素肌に

一糸まとわぬお体で琵琶を奏でたお姿です。

すごく色が白くて艶かしいですね。





ご神体の足元には鐘が置かれていて、

その鐘を三回叩いてからお願いごとをするのだとか。

気持を込めて、私もしっかりお願いしましたよ。





「はだか弁天」の右側には、一面八臂の弁財天がいらっしゃいます。

こちらはすごく古いもので、重要文化財に指定されています。

「はだか弁天」とはまた違い威厳がありますね。





こうしてすべての参拝が終了し、

江の島の入口に戻ったのは、冬の日も暮れた5時半頃でした。

午前10時に開始しましたから、けっこう長かったですね。

でもなんとか無事、終了しました。





「鎌倉 江の島七福神めぐり」は1年中行っています。

ですから1日で廻らなくても大丈夫ですよ。

もし興味があったら、数回に分けてでもできますので、

自然を満喫しがてら足を運んでみて下さいね。


今日の記事はいかがでしたか?
「今日読んだよ、面白かったよ、役に立ったよ」の印に
応援クリックを頂けますと私の励みになります。

⇒ 歴史ブログ 幕末・明治維新

クリックをたくさん頂いた記事を、
今後の記事アップの参考にして、
もっと楽しい記事を作っていきたいです^^
 
                多摩人(たまびと)漫遊記 トップページに戻る

「鎌倉 江の島七福神めぐり (その2)」を読んだ人はこんな記事も読んでいます
鎌倉 江の島七福神めぐり (その1) (2013/01/14)

鎌倉 江の島七福神めぐり (その1)

  • 2013/01/14(月) 22:22:01

昨日は穏やかで暖かな1日でしたのに、

今日は一転して大雪となりましたね。

用事で外出された皆様、お疲れ様でございました




私はといいますと、どこへも行かずに

こうしてブログ記事を作っておりました。

きのう鎌倉・江の島方面にでかけましたので、

その関連記事です。




毎年、正月の三が日に

七福神めぐりをしているルンちゃんですが、

今年は「武蔵野吉祥七福神」にするか

「鎌倉 江の島七福神」にするかで迷っていました。





でも巳年なので、

井の頭弁財天の御開帳に行きたいなと思って

「武蔵野吉祥七福神」に決定したんですよね。

(でも御開帳は4月、つまりこれから^^;)




ですから「鎌倉 江の島七福神」は、

1年待って来年にするつもりだったんです。




ところが今年、ウォーキングの会のほうで、

「鎌倉七福神めぐり」をすることになって、

1年待たずに行かれることになりましたよ。

やったね!




そんな訳で、再び七福神めぐりのお話です

2回に分けて、記事アップしますね。




「鎌倉 江の島七福神」のコースはこちらですよ。

1.浄智寺 − 2.鶴岡八幡宮 − 3.宝戒寺 − 4.妙隆寺 − 

5.本覚寺 − 6.長谷寺 − 7.御霊神社 − 8.江島神社






七福神なのに8ヶ所なのは、「鶴岡八幡宮」と

「江島神社」のそれぞれに弁財天がいらっしゃるからです。

ですから、江の島の江島神社を除いて

「鎌倉七福神」とすることもあるようです。




今回のウォーキングの会でも、

江の島を除く「鎌倉七福神めぐり」だったのですが、

ある理由から、解散後に有志だけで

江島神社まで行くことにしました。

もちろん私は有志組




1月13日(日)は穏やかな天候で、

真冬とは思えない暖かな1日でした。

午前10時に北鎌倉に集合し、いざ出発!


20130113−1
もうロウバイも咲いてます。いい香り〜



1.浄智寺(布袋尊)

北鎌倉から通りに出て、東(建長寺・八幡宮方面)に歩きます。

しばらく歩くと、道の右側の山を少し入った所に浄智寺があります。

山門前に鎌倉十井のひとつ「甘露の井」というのがあります。



20130113−2
「甘露の井」 鎌倉十井とは江戸時代に
鎌倉の観光名所とされた井戸だそうな




かつてこの一帯は北条氏の所領でした。

第5代執権・北条時頼の三男・宗政は

29歳の若さで亡くなりますが、

その宗政夫人が一族の助けを借り、夫と

幼少の息子・師時を開基として起こしたのが、

このお寺といわれています。




開山初期には伽藍などがありましたが、

その後の火災で焼失しました。

しかし、室町時代には方丈・書院・法堂・三門・外門

ほか主要な建物が揃い、また塔頭なども建ち揃って、

その繁栄ぶりは大きなものでした。




江戸時代になると、鎌倉の漁村化によって寺は廃れ、

さらに大正時代の関東大震災で

建物のほとんどが倒潰してしまいます。

今では三門・雲華殿・方丈・客殿などがあるだけです。




裏庭にある岩壁を抜けると奥に洞窟があり、

その洞窟に布袋尊が祀られています。

そのお腹をさするとご利益があるのだそうですよ。


20130113−3
布袋尊様




参拝者がみんな擦っていくので、

布袋様のお腹だけが黒くなっています。

そう言いながら、もちろん私も擦ってきましたけどね。





こちらのお寺が最初なので、御朱印の色紙を購入します。

こちらの七福神は、色紙が2種類あるのですよ。

ひとつは既に寺名が印刷されていて朱印だけいただく物、

もうひとつは中心に七福神の絵だけがあり、

各寺院で筆書きと朱印をいただく物です。





時間はかかりますけど、朱印だけだと味気ない気がして

筆書きを選びました。各寺院でそれぞれに

日付も入れてもらえます。後でよく見ましたけど

こちらを選んでよかったですよ

ちなみに御朱印代は各寺院で渡します。





寺の裏山にあたるのが源氏山ですね。

この山を行けば銭洗弁天の方に出るみたいですが、

その道は行かずに、来た道を通りまで戻り

建長寺方面に向かいます。

建長寺を過ぎれば、鶴岡八幡宮はすぐですよ。




2.鶴岡八幡宮(弁財天)


お正月を過ぎて半月程経ちますけど、

初詣の参拝者がかなり並んでいました。

私達もその列に並びます。


20130113−4



鶴岡八幡宮は1063(康平6)年に、源頼義が由良郷鶴岡に

京都の岩清水八幡宮を勧請し、それを源頼朝が

現在の地に移動したのが始まりといわれています。





有名な大銀杏(数年前の台風で倒木)があった大階段の下に

御朱印所がありました。でもこちらじゃなかったみたい。

七福神の御朱印は、弁天池の島の中なんですね〜。

この島に弁財天が祀られているのです。





源頼朝の夫人・北条政子が源氏隆盛と平家滅亡を祈願して

境内の東西に池を作らせ、東の池に旗上弁財天を祀ったそうです。

こちらの弁財天は運慶作と伝えられていて、重要文化財です。

ですから島のお堂にはなく、国宝館に安置されているそうです。





お堂の右側に御朱印所があり、

その建物内に弁天様の写真がありました。

そのお顔は色白で、とても美しかったですよ。




樹木に白ハトがいました。めずらしいですね〜

昭和の頃は八幡宮の境内で、

沢山の白ハトを見かけたものです。

でも今は少なくなりましたね。いないこともよくあるし…



20130113−5
白ハトの成る木^^




しかも普通の(色の)ハトも混ざっている。

白ハトが鶴岡八幡宮の象徴にも思えたものですが、

変わりましたね〜。なんだかチョッと淋しい気も…




3.宝戒寺(毘沙門天)


八幡宮の大鳥居を抜けて東側にあります。

天台宗のお寺です。このお寺の開基は後醍醐天皇ですよ。

ここは北条義時以来の北条執権の屋敷があった所で、

門前には「館跡の石柱」が建てられています。




北条氏が9代で足利尊氏(後醍醐天皇)らによって滅ぼされたとき、

その霊を慰めるためと、国宝的人材を養成修行させるためとして、

後醍醐天皇が足利尊氏に命じ、この地に寺を建立させました。

本堂に祀られている木造地蔵菩薩坐像の左側に

毘沙門天も祀られています。


20130113−1



4.妙隆寺(寿老人)


少し道を戻って、源頼朝が政子夫人の安産祈願に造らせたといわれる

段葛(だんかずら=八幡宮の参道)の横の小町大路を通って、

しばらく行くと妙隆寺です。





この一帯は鎌倉時代の有力御家人だった

千葉常胤(つねたね)の子孫である胤貞の別邸、

「千葉屋敷」といわれていた屋敷があった場所だと伝えられています。




開基がその胤貞だそうで、日英上人によって

1385(至徳2)年に開山されました。

今は、平成18年新築の本堂があります。




こちらには、ケヤキ一本造りの寿老人が祀られ、

傍らに従えた鹿が印象的です。




5.本覚寺(恵比寿)

小町大路を鎌倉駅方面に歩くと本覚寺に至ります。

もともとここには、源頼朝の建てた夷堂(えびすどう)があり、

鎌倉幕府の守り神のひとつとして祀られていました。





その後1274(文永11)年に、日蓮が流罪地の佐渡から戻り、

しばらくこちらに滞在し、身辺山に帰ったそうです。

この言い伝えより、日出上人が1436(永享8)年、

天台宗夷堂を日蓮宗に改めて、今の本覚寺が建てられました。





境内には「本堂」と「夷堂」があり、本堂には

旧夷堂からの釈迦・文殊・普賢の三尊が祀られています。

また夷堂には恵比寿様が祀られています。



20130113−7
こちらが夷堂




このお寺には「にぎり福」といわれる「おまもり」があります。

ひとつひとつ手作りで素朴ですけど、とても可愛らしいです。

裏側に「福」「健」「学」「財」の文字がそれぞれにあり、

好きなものを選ぶのだとか。1日1回にぎると御利益がいただけます。

近年これがクチコミで広がり、参拝者も増えたそうですよ。





次の長谷寺は、少し離れます。

鎌倉駅から江ノ電で長谷駅まで行かれますが、

歩いても10分位なので、私達は歩いて行きました。

ここからお話が長くなるので、その2に続きます



今日の記事はいかがでしたか?
「今日読んだよ、面白かったよ、役に立ったよ」の印に
応援クリックを頂けますと私の励みになります。

⇒ 歴史ブログ 幕末・明治維新

クリックをたくさん頂いた記事を、
今後の記事アップの参考にして、
もっと楽しい記事を作っていきたいです^^
 
                多摩人(たまびと)漫遊記 トップページに戻る

「鎌倉 江の島七福神めぐり (その1)」を読んだ人はこんな記事も読んでいます
鎌倉 江の島七福神めぐり (その2) (2013/01/18)