近藤勇 誕生の日

  • 2007/10/09(火) 22:48:52

1834(天保5)年、武蔵国多摩群上石原村(現 東京都調布市)で

父宮川久次郎、母みよ の子として

一人の男児が誕生しました。




それが宮川勝五郎、のちの近藤勇です。


勇の誕生の日は10月9日だったらしいです。

(はっきりとはわかりません。この情報も孫引きしてます)





上石原村は、甲州道中布田五宿

(上石原村・下石原・上布田・下布田・国領)のひとつで、

上石原村には当時87軒の家があったそうです。




宮川家周辺には6戸程度の家があり、

宮川家は豪農といわないまでも

比較的裕福な生活をおくっていたようです。




天保9年の「宗門人別帳」によると

家族は父母、祖父源次郎、

長兄音次郎(のち乙五郎)、次男粂蔵(のち粂次郎)と

三男勝五郎の6人家族でしたが、

天保10年に母が亡くなっています。




久次郎は自衛のために敷地内の納屋を改造し、

天然理心流三代目 近藤周助を招き、

近所の人々を集めて剣術を学びました。




その稽古にいつからか三兄弟も加わるようになり、

その後周助が、勝五郎の剣に対する天賦の才を認め、

近藤家の養子として迎えるのです。




そして勝五郎(養子後は島崎勇)は

1861(文久元)年、

天然理心流四代目を襲名し、近藤勇と名乗るようになりました。





※「宗門人別帳」とは?

現代の戸籍のようなものです。

江戸時代、キリスト教を禁じる目的で

幕府が村ごとに作らせました。



毎年村全員の人名を記入・押印させ、

その人物はどの寺の檀家か、

寺側は記名者が檀家であることを証明し、

村役人がこれを保管していました。



それまでは勇の幼名は「勝太」といわれていましたが、

1988(昭和63)年に

江戸時代に上石原の村役人を務めていた家から

宗門人別帳がみつかり、調査の結果

勇の幼名が「勝五郎」だったことが

わかったというエピソードがあります^^


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この記事に対するコメント

近藤勇の誕生日が

10月9日という説の根拠は何でしょうね?
この説を最初に出版物に書かれたのは、研究家の小島政孝氏でしょうか。
あるいは小島家に根拠となる史料があるのかもしれませんが、
謎ですね。

どこかしら?

今回もこの記事を書くにあたって情報の出所を調べてみましたが、
よくわかりませんでした。
小島館長さんなのかしら?
こんどお会いしたら聞いてみようと思います。

天保9年の「宗門人別帳」の方は確かなもので、
このとき、お母さんの名前が「みよ」だったこともわかっています。

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