沖田総司の黒猫の話

  • 2008/05/30(金) 13:11:30

沖田総司のことをよく知っている方なら

「黒猫」
と聞いてピンとくることでしょう。




今日は5月30日。

沖田総司の命日
です。




ですので、黒猫の話など。。。ネコ





鳥羽伏見の戦いで敗れた旧幕府軍は、

今後の対策を立て直すべく、江戸へと移動します。

それに伴い、新選組も船で江戸へ向かいます。




沖田総司も江戸までは隊士達と行動を共にしますが、

病気の為、なつかしい江戸の土を踏むとすぐ

皆から離れ一人療養に入るのです。




しばらくは他の負傷者の治療所もあった

浅草辺りに総司もいますが、





亡くなる数ヶ月前には

千駄ヶ谷池尻橋の植木屋平五郎宅の離れに

落ち着くことになったようです。





その周辺には川が流れ、水車がまわり、

大正時代までは鮎や鯉、鮒や鰻も獲れたという

和やかな風景のある場所でした。





病気療養には適した場所で、そのおかげで

多少は小康状態を保てたのかもしれません。





亡くなる2、3日前、

総司は庭にいる黒猫を斬ろうとして刀を取り、

庭に出て黒猫に立ち向かいます。





しかし彼には斬ることはできず、

がっくり肩を落とし部屋へ戻ります。





その翌日また黒猫をみつけ

前日同様に黒猫に挑みます。





しかし、またしても斬ることができず、

「斬れない…」と言って倒れ、

そのまま意識不明におちいります。





翌日の夕刻、ふと意識を取り戻し、

「あの猫はまた来ているだろうなぁ」

と言ったきり意識をなくし、

そのまま息を引き取るのです。






この黒猫の話、とても有名ですが、

最近では「新選組始末記」を書いた

子母沢寛の創作ではないか

とも言われていますよね。






ですから、あまり見かけない話になりました

(大河ドラマもなかった…)






でも以前は真実だと思われていたので、

物語やドラマにも必ず黒猫の話が

取り入れられていました。





沖田総司のひとつの伝説として、

私の心の中にも深く焼きつき、

総司の臨終を思うとき、

目の前に黒猫が思い浮かびます。




ところで、

森満喜子著の「沖田総司 おもかげ抄」


に、興味深い文が載っています。




【人間は最期の意識に 

 その人が最も支配された「義務」感が出てくることがしばしばある】



のだそうです。






森満喜子氏は、自らの体験を踏まえ、

沖田の場合も「斬る」と決定したら必ず斬らねばならぬ、

という新選組隊士としての義務感が、最期の想念を支配したのだろう



と述べています。





総司の剣士としての人生を考えるとき、

「斬る」という行為が彼を支配していたことはうなずけます。





仲間達とともに戦うこともできず、

それでも剣士として生命を全うしたいと

常日頃から考える彼にとって

最期の思いはどんなものだったのでしょうか。





そう考えると、

あながち嘘のようには思えない

黒猫の話なのです。





今日は5月30日。

そんなことを考えながら

かの人に手をあわせています。






沖田総司 おもかげ抄/森満喜子著・新人物往来社

誰よりも総司を愛してやまなかった
森満喜子先生の研究レポートです^^




その他の沖田総司の本





あなたのお役に立てましたか? 
あなたの応援クリックで次回もがんばります!
 →歴史ブログ 幕末・明治維新



多摩人(たまびと)漫遊記 トップページに戻る

「沖田総司の黒猫の話」を読んだ人はこんな記事も読んでいます
清河八郎 企画展示 (2011/02/07)
踊る土方歳三 (2012/02/13)
幕末の松前藩について (2007/11/08)

この記事に対するトラックバック

この記事のトラックバックURL

この記事に対するコメント

そうですね。

いろいろ忙しくて命日について忘れてました・・!
黒ネコの話はたとえ子母澤先生の創作であっても、信じたいなぁとおもいます。
最後の最後まで斬ろうとしていた沖田さんは、すごく好きです。なんでこんなに早く亡くなってしまったのだろうと、そう思ったらすごく悲しくなりますが、これからも安らかにお眠りになることを願ってやまないですよね。

アイデンティティの確認?

こんばんは。
1月の鳥羽・伏見戦から亡くなるまでわずか半年足らず、その間の世の中の変化は今以上の早さだったことでしょう。
仲間も、お姉さん夫婦も遠くに行ってしまった環境下、時代にも、身近な人からも取り残されてしまった自分の存在を確認しようとしたかも知れませんね。まして、死が近づいている場合は、「己の人生の価値付けや再確認」に努めることも自然に思います。
黒猫を斬ろうとした行動は創作かも知れませんが、心理は事実なのでは…?。
ドラマ「燃えよ剣」の千駄ヶ谷の場面は淡々と描かれ、演じられていましたが、同じ年に読んだ「野菊の墓」への気持ちと同じ気持ちをもってテレビにかじりついていました。

忘れてた。。

沖田さんの命日でしたね〜。
日々忙殺されてて忘れてました(^^;)
東京にいったのはもう何年前になるんだろ?
黒猫、創作である、という理由に「当時の黒猫は病魔退散の守り神的存在だった」ということもあるようです。
黒猫がオドロオドロしい存在になったのは西洋文化がかなり入り込んでからなので、信心深い当時の人が守り神の黒猫を切りつけるはずがない、というもの。
私はこのシーンなくして沖田さんは語れまい、と思ってますけどね(笑)
子母澤寛、上手いと思います。さすが。

創作

みんとさん こんにちは。

例え黒猫のお話が創作であっても、
やはり私の中では沖田さんにまつわる話として
胸に焼きついています。

でもそれより、近藤先生と沖田さんが
ほとんど時期を同じくして
この世を去っているとことの方が
『事実は小説より奇なり』という感じで不思議な気がします。

存在の確認

允@遊撃隊さん こんにちは

なるほど〜、「己の人生の価値付けや再確認」
自分の存在の確認なのですね。
きっとそんな心情はあったでしょうね。

『燃えよ剣』のあのシーンは
胸つまるものがありましたよね。
今でもDVD見たら泣いてしまいます。
でも、とてもいい場面でした(;ー;)


黒猫

味のりさん こんにちは^^

そうですね。
「子母澤先生、うますぎるよ」って言いたいですよね。
沖田さんの心情をよくとらえてますもの。

黒猫は西洋でも国によって「幸福の使い」だったりしますよね。
江戸時代もそうだったんですか。なるほど〜。

でも色によって「不吉」とか「縁起が良い」とか
猫にしてみれば、いい迷惑ですよね。
同情しちゃうな〜^^;

昨日は、沖田さんのご命日でしたね。
遠き地からですが、花を手向けさせて頂きました。

黒猫のお話。
創作であったとしても、あんなに胸に焼き付くエピソードを信じ続けたいです。
そういえば…
東京を巡っている時に、専称寺脇の道路からお参りしている時に、黒猫を発見して、驚いたのを思い出しました。

  • 投稿者: kumi
  • URL
  • 2008/05/31(土) 21:01:54
  • [編集]

専称寺

kumiさん こんばんは^^

専称寺で黒猫とは、なんとも揃いすぎてますよね〜。
私もそういう目にあってみたいです。
6月は総司忌があるので、
ちょっと期待して行ってみようかな^^

黒猫 三条大橋 近藤勇

初めまして。沖田総司と黒猫の話題を検索していたらここに行き当たりました。
私の住んでいる場所は「フラガール」の地元のいわき市常磐湯本町です。黒猫に纏わる話ですが、
郷土縁のお坊様で400年前に沖縄へ渡りエイサー発生に関与したとの伝説を持つ「袋中上人」と言う方がいましたが、この方が後に京都へ渡り三条大橋たもとに「だん王法林寺」と言う寺を建てております。
この寺は上人が沖縄へ渡った船に乗っていたと言う言い伝えの黒い招き猫が祭られています。
寺のすぐ近くには「池田屋」があり、近藤勇の首が晒された場所も目と鼻の先です。
そして湯本町ですが、かなり怪しげではありますが、総司の辞世の句「動かねば 闇にへだつや 花と水」の出た場所と言われています。
偽物だと思いますが、いわきは新撰組最年少隊士「田村銀之助」が以前属していた磐城平藩のある場所。「相馬主計」も磐城の戦いに参加しています。又、湯本温泉には「遊撃隊」も宿泊しており、彼らが磐城の戦いに参戦した際には「富士山丸」の砲撃を受けています。
会津初代藩主「保科正之」や「八王子松姫伝説」にも絡んだ土地柄であり、どうにも沖田総司や新撰組と縁があるような気がしてなりません。
前置きが長くて申し訳ありませんが、新撰組にお詳しい方と言う事で、沖田総司の句?の現物のある場所をご存知でしたら教えて頂きたいのです。厚かましいお願いですが宜しくお願い致します。

はじめまして

スポッツさん、はじめまして。
ようこそいらっしゃいました。

沖田総司については不明な点がまだ多く、
この辞世の句についても詳しいことは
わかっていません。
この句が沖田の句といわれだしたのも
そんな昔のことではなかったと記憶しています。

お問合わせの件につきましては、
申し訳ありませんが私は知りません。
出処については、2007年に出版された
「沖田総司伝私記」のあとがきで、
著者の菊地明先生がお書きになっています。
スポッツさんのお話の通り、福島県いわき市の神社だったようですね。
でもその神社に菊地先生が確認したところ、ご存知の方はいらっしゃらず、
調査はそこで止まったままになっているとありました。
その後どうされたのかは不明です。

菊地先生にお聞きすればなにかわかるかもしれませんが、
あいにく今年は「総司忌」に参加できそうにありませんので、それもできません。
もしスポッツさんが「総司忌」に参加されるのであれば、
直接菊地先生にお尋ねになっては如何でしょうか?
(たぶん先生はご出席されると思いますので)

お力になれずに本当に申し訳ありません。
でも私もすごく気になる事柄ですので、
なにかわかりましたら教えていただけると嬉しいです。
どうぞこれからも、よろしくお願いします。

ありがとうございます。

コメントにお返事頂きありがとうございます。「総司忌」は日曜日ならばと思ったのですが残念ながら土曜日は動けません。さて、地元の温泉神社の宮司さんには、句の話をしたのですが先代からの申し送りの中には無かった筈との事でした。せめて、句のある場所と見つかった神社の名前が分かればと思います。
函館の湯の川グランドホテルに複製があるらしいので、だめもとで聞いて見ます。何か分かりましたら報告致しますので、今後とも宜しくお願い致します。
スポッツ

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する