生殺与奪の土方歳三

  • 2008/09/03(水) 10:46:47

その日、土方歳三榎本武揚とともに

軍議のある仙台城にいました。






過日、会津で新選組本隊と別行動を取っていた土方は、

援軍要請のため米沢に向かう前桑名藩主

松平定敬
に同行することになります。






しかし、米沢に到着してみると、

米沢藩はすでに恭順姿勢へ傾倒し始めており、

また庄内藩にも援軍の見込みがもてないとの情報を得て、

仙台に向かうことを決意します。






こうして仙台に着いた土方は、

仙台城での奥羽列藩同盟の軍議に

出席することとなりました。






軍議では、榎本武揚土方歳三

同盟軍の総督に推挙しました。

諸藩の代表もこれに賛成します。






榎本は別室にいた土方を呼び入れ、

その旨を告げました。

すると土方は、






「総督に就任する以上、全権を委任していただきたい。

 もし、万一総督の命に背くものは、重役なりとも斬るが、如何か?」







と生殺与奪権(せいさつよだつけん)を主張したのです。







それでも、一同賛成の気配ではありましたが、

ひとり、二本松藩の代表から







「それは藩主の専権であって、

 藩主の許可がなければ委任できかねる」







との意見が上がり、一同に動揺が走ります。






それを見た土方は、

席を立ち部屋を出て行きました。






1868(明治元)年9月3日のことだったといわれています。

(新暦だと1868年10月18日)





このとき同盟藩の一部の藩には、

恭順のころあいを見計らっていた感もあり、

結局、土方の総督の話は立ち消え、

列藩同盟自体も崩壊していきます。







この軍議の数十日後には仙台藩までもが、

敵地になりつつありました。






榎本武揚率いる旧幕府軍は、

蝦夷へ渡る決意を固め、

仙台から松島方面へ移動し始めるのです。





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