浪士大集結の日

  • 2009/02/04(水) 10:29:11

ひさしぶりの、新選組版「今日は何の日?」です
(事件がなかったものですから…^^;)




1863(文久3)年、2月4日。




江戸小石川にある伝通院の塔頭 処静院(しょじょういん)に、

なにやら、いわくありげな男たちが集まっていました。

しかも、250人余りの多人数





じつはこの年3月に予定されている

14代将軍、徳川家茂の上洛に備え、

京都の市中警備派遣の、人員募集に応じた

浪士たちの集まりだったのです。





250年ぶりに将軍が上洛することになり、

問題にあがったのは、訪問先の京都が

テロの横行する危険地帯だということ。





万一、将軍に危害が及べば、

幕府の危機管理能力のなさが露呈し、

果ては徳川政権の失墜にも及びかねません。





そこで考え出されたのが、「毒には毒を以って制す





江戸近郊の浪士を集めて京都に送り込み、

洛中に横行するテロリストたちの取締りをさせようということに、

前年12月8日の幕府の会議で決まったのです。




これなら、江戸にいる不逞浪士も一掃されるし、

京都のテロリストも退治できる。おまけに、

どちらが傷ついても、幕府は痛くない






この考えは講武所剣術教授

松平主税介が幕府に提出したものです。

でも本当は、清河八郎が友人の幕臣、山岡鉄太郎を通して

提出させた策だったんですね。
(実は裏があったのにね…





そんなこととは、松平主税介も幕府方もつゆ知らず、

「なるほど、いい考えだ!」
とばかりに

松平主税介を浪士取締役に任命し、関東各地に

使者が派遣され、浪士たちが集められました。





後に新選組の要となった試衛館の連中も

この話を聞きつけ、松平主税介宅を訪問し、

その話が本当かどうか尋ねます。

するとどうやら真実らしい。





近藤勇以下試衛館連中も、

この浪士隊に加わることを決意し、

2月4日、処静院へ集まったのです。
(5日だったとも…)





ところが、肝心の松平主税介は同日辞任





当初の計画では浪士50人の募集のはずが、

250人以上の浪士が集まり、約束の1人50両が渡せない。

責任が取れないと、サッサと退散してしまったのです^^;





集会早々、暗雲が立ち込める(?)浪士隊。

どうする?試衛館一同

この話は翌日に続きます。

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