大阪力士と大乱闘の日

  • 2009/06/03(水) 10:43:33

新選組版「今日は何の日?」です




1863(文久3)年6月に入ってすぐ、

大阪から、不逞浪士が横行して困っている

との知らせが壬生浪士組へ届きました。





それを受けて浪士組では、近藤勇・芹沢鴨・

山南敬助・沖田総司・永倉新八・斎藤一・

井上源三郎・島田魁・平山五郎・野口健司
の10人が、

大阪へと向かいます。





2日に大阪入りした彼らは翌日早朝、

浪士2人を捕縛。見事任務を成し遂げました。
(ここまでは優秀^^)






さて、その日はとても暑い日だったようで、

早々に任務を終えた彼らは、舟遊びをしようと思い立ちました。

夕方、近藤と井上を除く8人が八軒家から川を下り、

涼を楽しみます






途中、斎藤一が腹痛を訴え、一同は下船することにします。

そこから北新地へ繰り出そうということになったようですが…^^;

そこで、チョッとしたトラブルがありました。






難波小橋で、向こうから来た力士と

道を譲れ譲らぬの言い争いを起こすのです。

力士の傲慢な態度に、芹沢鴨が我慢できず

相手を殴り倒しました。

そのまま浪士たちは歩き始めます。






しばらくして再び力士と遭遇し

同じような言い争いとなりますが、

今度は全員で相手を押し倒します。






ようやく北新地の住吉屋に着き、

一同大いに楽しんでいたところ、表がにわかに騒がしい様子。

見ると先ほどの仲間らしい力士たちが20、30人と

店の前に群れています。

どうやら、仲間の仇を討ちに来たようです。






たちまち芹沢が刀をとり、外へと飛び出していきました。

もちろん、他の隊士たちも芹沢に続きます。

あとはもう敵味方入り乱れての大乱闘です^^;






それは、1863(文久3)年6月3日の出来事でした。






ちなみにご承知の通り、

浪士たちはみんな腕に覚えのある猛者ばかり。

力士たちの手には、到底負えるはずもありません^^;






熊川熊次郎が死亡し、3人が重症。

他の力士も大勢が斬られ、さんざんな目にあったのです。

一方浪士組のほうでは、沖田が頭部、平山が胸を軽く打たれ、

永倉は島田の刀の切っ先が触れて軽症をおったくらいで、

たいしたことはなかったようです。






しかし、そのままにしておくこともできず、

話を聞いた近藤勇が、すぐさま町奉行に出向き「口上覚」を提出。

最終的には、力士側が詫びを入れる形で話は収まったのでした。





浪士の取締まりのために、わざわざ大阪まで来たのに、

こんな騒ぎを起こしてしまって、よかったのでしょうか?

どちらにしても、壬生浪士組の存在は大阪の人々に

この時強く焼きつきましたよね!





その後、この事件が縁となり、

壬生で相撲興行が行われます。

でもそれが幾つかの波紋を生じるわけですけど…





その話は、また後日といたしましょう



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この記事に対するコメント

今日は、そんな日だったんですね!
この事件大河ドラマに出てたんですよね。
いや〜改めて事件の内容が分かりました!
壬生での相撲興行がいくつかの波紋を呼ぶ・・・・。

ハイ♪

勇春さん、こんばんは。

ハイ、今日はそんな日でした。
大阪へは事前に浪士隊をアピールしていたようで、
そのおかげの依頼だったみたいですけど、
浪士捕縛よりも、力士との乱闘事件で
目立ったように思われます^^;
留守番(たぶん)の土方さんの怒った顔が目に浮かぶようです。

新選組の歴史を時系列で追うのも良い勉強になります。有難うございます。蜆橋事件後、大和屋焼き討ちなど芹沢の乱行がエスカレート。浪士組内の確執もあったにせよ一緒に旗揚げした同士を討つのは辛い仕事だったのではと想像します。


暗殺に

続きの始まり

早々さん。
ありがとうございます。

そうです。この後いろいろな出来事が続くのですが、
その発端がこの事件だった気がします。

「今日は何の日?」はまだまだ続きますので、
よかったら見て下さいね。
(左サイドに『今日は何の日?』カレンダーもあります^^)

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