奥羽越列藩同盟

  • 2009/06/08(月) 10:22:00

新選組のことをよく知っているなら、

この名前もご存知かもしれませんね。




奥羽越列藩同盟





鳥羽伏見の戦いに敗れ、江戸に戻った会津藩を

救済する形で東北の諸藩が集結し同盟をつくったのが、

この奥羽越列藩同盟です。





…などと書いている私も、じつは

わかるのはそれくらいだったんですね





それじゃあ、各藩にどんな人がいて、

どんな状況にあったのか?

そしてどんな行動を取ったのか?





それらになると、全くつながらず、

ただ漠然と「奥羽列…」の名前を知るだけでした。





でもこの本のおかげで、

点だった部分が線としてつながり、

大まかではありますけど、

流れがつかめるようになりましたよ。





私と同じように、

「奥羽越列藩同盟って、いまひとつよくわからないな」


と思うのなら、こちらの本がとても参考になりますよ



奥羽越列藩同盟 〜東日本政府樹立の夢〜
星亮一著/中央公論新社





『東北の各藩は、

 大局の動きを知らず、先見の明を知らず、

 ただ闇雲に新政府に対抗しただけ』





こんな言われ方もするようですが、

そんなことはありません





仙台藩には渡米経験もある玉虫左太夫もいましたし、

会津藩には梶原平馬、長岡藩には河井継之助

米沢藩には雲井龍雄、南部藩には楢山佐渡

優秀な参謀がいたのです。





でも彼らの率いる団体が、組織立って

上手く作動したのかというと、違いました。

それが敗因のひとつともいえそうです。





各藩の参謀、一人ひとりの生い立ちや行動をみると

それぞれに優秀で、もし戦争に負けることなく、

明治以降も表舞台に立っていたなら、

さぞかし国のために尽力しただろうと思う人ばかりです。






でも運は彼らに味方せず、結果

ほとんどの人が志半ばで倒れました。





後世になって考えてみると、歴史の流れの中に

いくつかのターニングポイントがあることに気付かされます。

彼らの場合、そのポイントでの選択で

崩壊の道に進んでしまっているんですね。





そして奥羽越列藩同盟自体も、

時代の表舞台にその存在を知らしめることなく

崩壊してしまったのです。





奥羽越列藩同盟崩壊後、彼らはどうなったのか…?

それもこの本にあります。

もしかしたら、それぞれの無念な想いも

感じる取ることになるかもしれません。




ちなみに私事なんですけど…^^;




この本を読んでいたのが、今年の「歳三忌」の頃でした。

この本には会津藩の梶原平馬のことも

いろいろ載っているんですね。




梶原平馬は一時、

行方知れずになっていたことがあったんです。

ですから、会津を出た後の平馬がすごく気になって、

色々調べていたんですよ。




そうしたら歳三忌に、

梶原平馬のご子孫がいらっしゃった
じゃありませんか!

しかも今回初めてのご参加ですって。もうびっくり!




こんな風に、新選組関連でのお導き(?)は

けっこうあるんですよ〜。

(私だけじゃなく仲間もみんなあるらしい^^;)






あなたもこの本を読むと、なにかがあるかもしれませんね。

どうぞお試し下さいね〜


奥羽越列藩同盟 〜東日本政府樹立の夢〜
星亮一著/中央公論新社


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この記事に対するコメント

私も『奥羽越列藩同盟』あまり知りませんが↑のでだんだん分かりました!
梶原さんの子孫に会えるなんて羨ましいです!
河井さんは、ガトりング砲使った方ですよね。

こんにちは。私の住んでいるいわき市も戊辰戦争の緒戦の舞台となった場所でした。各地で激をとばしていた雲井龍雄の話を受け、奥州に転戦、磐城に来たのが徳川義軍遊撃隊でした。伊庭八郎が来ていれば、なお嬉しかったのですが。
同じ県内の会津は、越前の松平春嶽に家訓をたてに京都守護職を押し付けられ、あげくに朝敵扱いをされ、戊辰戦争で城下は、ぼろぼろ、死体の埋葬は許されず(その時の直接の管理者は越前藩士、案の定会津藩士に暗殺されましたが)その後は斗南藩で農民にバカにされるほどの困窮生活、山県有朋には徹底していびられると・・。未だに長州(山口県)を良く思わない心情も理解できます。140年前の出来事が今も影を落としていると言えます。
スポッツ

ビックリ

勇春さん、こんばんは。
本当に私の中では「時の人」だったので、
ご子孫の方のご参加には驚きました。

河井継之助さんは勇春さんのおっしゃる通り、
ガトりング砲を購入して、戦った方です^^

東北地方

スポッツさん こんばんは。

東北地方を調べると、意外と幕末の戦場地が多いことに驚かされます。
確かにそれらの地で、彼らは戦っていたんですよね。

戊辰の後も会津の人達にとっては、つらい日々が長く続いたことも、政治史などを見るたびに再認識してしまいます。
それを考えると「長州憎し」の感情が、どれ程強いものかがわかる気もします。

私も一口言わせて!

東北、函館の戊辰戦争の火付け役は長州藩の世良修蔵ですね。後に斬首されました。

忘れません^^;

半杭正幸さん、こんばんは。

世良修蔵の名前は忘れませんね〜。
あの人が殺されても、殺されなくても
火種にはなっていましたからね。
ホント長州藩にもいろいろな人がいましたね。

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