気になる「鴨」の名の由来

  • 2009/06/16(火) 16:10:47

新選組の本を読むと決まって登場するのが

「芹沢鴨の暗殺」
の話ですよね。





暗殺についてはここでは語りませんけど、

その時いつも気になってしまうのが、

芹沢さんの名前
です。





幕末の頃は変名が流行っていたそうで、

近藤勇は「大久保大和(他もある)」、

土方歳三は「内藤隼人」という名前を持っていましたし、

伊東甲子太郎は事あるごとに、名前を変えていました。
(鈴木大蔵→伊東甲子太郎→伊東摂津)





自分で名前を決めるのもありだったようで、

芹沢さんも「下村嗣司(しもむらつぐじ)」という本名から、

「芹沢鴨」
という名に変えています。





「芹沢」は彼が下村家へ養子に行く前の

苗字なんですけど、何ゆえ「鴨」なのか?





「鴨」っていうと





『鴨がネギ背負ってやってくる』
とか

『鴨にされた』
とか

あまりよくない意味で使いますよね





「名は体をあらわす」といいますけど、

「運命をもあらわしてしまったのではないか」

という気さえしてくる「鴨」の名前です。
(鴨にされちゃったとまで
 言いたくはありませんけど^^;)






さて、その名前の由来については

ある説があります。




それは芹沢さんの故郷、玉造にある地名説話によるもので、

「彼の身近にあった言葉を使用した」というものです。





地名説話とは

「常陸国風土記」
の行方郡(なめかたごおり)の章

に書かれているものです。

そこには常陸の国の各地名が、

どのように名付けられたのかが記されています。





風土記によれば、常陸の国は

日本武尊(やまとたけるのみこと)と大変ゆかりのある場所で、

日本武尊がお通りになった際、お話になったことを元に、

次々と名前がつけられていったそうです。





梶無川という川から日本武尊が陸にあがられたとき、

鴨が飛び交いました。弓を持って射られたところ、

弦の音に応じて直ちに鴨が落ちてきた
のです。

それからその場所を鴨野といったということです。





この鴨野が玉造町加茂の場所で、

鴨の宮という神社もあるそうですよ。

参考:浅田次郎新選組読本(菊地明「鴨の由来」)





芹沢さんにとっては「鴨」の文字は

「芹沢村」と同様に、身近なもの。だから

そこから名前を取ったというわけですね




他にもネットで調べてみたら、こんな考察もありました。




ポイントは

『(日本武尊の射る)弦の音に応じて直ちに鴨が落ちてきた』

という部分です





日本武尊(つまり天皇)の威光を感じ、

弦の音だけで落ちる鴨の姿が、

自分の身を犠牲にしても帝のために尽くそうとする

「尽忠報国」の志に通じるもの
として、

「鴨」という字を己に当てたというものです。


参考:司馬遼太郎も知らなかった芹沢「鴨」の由来 
   茨城のむかしむかし大昔15






実際のところは、はっきりとはわかっていませんが、

なかなか説得力のある考察で、思わず

「なるほど〜」とつぶやいてしまいました






どちらにしても、なにかしら意味を持って

つけた名前なんでしょうね。

芹沢さん「鴨ネギ」なんて思ってしまってスミマセン^^;






傍には絶対寄りたくない人物なんですけど、

「なぜか嫌いになれない芹沢鴨」のお話でした


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この記事に対するコメント

芹沢さんの鴨の由来なるほど〜!
日本武尊の射る弦の音に応じて直ちに鴨が落ちてきたんですね。
そして、尽忠報国の志に通じる。
勉強になります。
私も嫌いになれない方ですね。


野口雨情の先祖と芹沢さん

こんにちは。
いわき市から程近い北茨城磯原に、野口雨情の生家があります。日本を代表する童謡作家の生家すぐ近くには天妃神社があり、下村嗣司は、そこの神官だったそうな。
楠木正成の弟の家系という事で、水戸藩、特に水戸黄門に大事にされた野口家は、当時の当主が先妻を亡くした後に黄門様の側室を下げ渡されました。側室はすでに妊娠しており、以後、黄門様の子孫が野口家の当主になりました。黄門様の子孫の件は噂ですが、光圀さんが何度も野口家に遊びにきているのも事実です。
当然、尊皇攘夷の思想を受け継いだと思われます。野口家には吉田松陰も旅の途中、泊まり野口家の人と語らったこともあったそうです。
そんな、野口家の影響をもろに受けたのが下村嗣司でした。

それから鴨ねぎですが、神官=禰宜(ねぎ)=鴨ねぎ・・間違ってはいないようです。
ちなみに高杉晋作ら長州藩と同盟を模索した水戸藩の西丸帯刀は雨情の大叔父。
吉田松陰を評価した本を初めて書いたのは、雨情の伯父です。
新撰組の野口さんも雨情の親戚だったのかも?
スポッツ

芹沢さん

勇春さん、こんばんは。

そうですね。
芹沢さん、近くにいたら命がいくつあっても足りなそうなんで、
近寄りたくはありませんけど、
人の良いところもあってどこか嫌いになれませんね。
調べてみたら面白い人物かもしれません^^

えにし

スポッツさん、ありがとうございます。
とても勉強になりました^^

いろいろなところで「えにし」を感じますね。
そんな風につながっているなんて
思ってもいませんでした。
またいろいろ教えて下さいね。

それにしても「鴨ねぎ」
笑ってしまいました。納得です♪

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