ある隊士が粛清された日です

  • 2009/06/22(月) 10:46:19

新選組版「今日は何の日」です。



まずは「なぞなぞ」から。。。




権力のあるものには媚びへつらい、

    部下には高慢な態度をとったといわれる
           
                 新選組隊士はだぁれ?





さて、あなたは即答できますか?

そうです。武田観柳斎(かんりゅうさい)です





昔も今も、上役に媚びて

部下には、ねちっこくいびるような人は好かれませんよね。

それでも本人に実力があるうちは、周りも従わざるを得ませんけど





観柳斎も最初の頃は、甲州流軍学を修めたキャリアと、

武術第一主義の隊中での数少ない文学指導者として、

新選組の中で重んじられていました。





慶応元年の近藤勇広島出張には、

近藤の補佐として、観柳斎も同行しています。

その頃が彼の絶頂期だったわけですね。





でも慶応3年、幕府でフランス軍人による

洋式訓練を取り入れ始めた頃から、

新選組でも古い兵法は軽んじられ、

自然、観柳斎の身の置き所もなくなってきました。
(イヤな奴だったしね…邪険に扱われたのでしょう






そんな理由からか、その後観柳斎は除隊します。(脱走とも)

そのまま京都からいなくなればよかったのですが、

新選組を抜けた後も、独自に勤王活動を行い、

やがて仲間を集めて倒幕活動を始めようとしたため、

新選組によって粛清されました。





それが、慶応3(1867)年6月22日のことです。





子母沢寛
著の「新選組始末記」では、

観柳斎が薩摩藩邸から出てくるところを

新選組隊士に目撃されたことになっています。





新選組幹部列座の「観柳斎送別の酒宴」が開かれ、

その後「薩摩藩の伏見藩邸まで送りましょう」と、

斎藤一と篠原泰之進に連れられ、伏見へと向かいます。





途中、竹田街道の銭取橋付近にて

ふたりに斬られるわけですが、

もしこれが事実だとしたら、

道中生きた心地がしなかったでしょうね。
(結局、斬られてしまいましたけど^^;)







新選組にいるときに、

もう少し人望厚き上司になっていたなら、

観柳斎の運命も変わっていたのでしょうか?





「人のふり見て我がふりなおせ」と申します。

観柳斎のような上司にならないように

お互い気をつけましょうね


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この記事に対するコメント

新選組!の武田さんの演じた方はとても良かったです!
昨日は、そんな人だったんですね。
私も、人望厚い方だったら変わってたと思います!

八嶋さん♪

勇春さん、こんばんは^^

「新選組!」での武田観柳斎役は八嶋さんでしたね。
まだ「新選組!」が放送される前、彼が武田役をすることが発表されたとき、
「ピッタリ!」って仲間たちと大いに盛り上がったものです^^
実際の放送でも期待を裏切りませんでしたね〜^^
私も大好きな方です♪

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