「歳三辞世の句」の秘密(?)

  • 2010/02/01(月) 16:23:34


土方歳三
の辞世の句、と呼ばれているものがありますよね。

もちろんあなたも、ご存知でしょう




たとひ身は 蝦夷の島根に朽ちるとも 魂は東の君やまもらん


(よしや身は蝦夷が島辺に朽ちるとも魂は東の君やまもらむ  とも)





箱館の最期の戦いが間近に迫ったある日、

年少の隊士、市村鉄之助に自らの遺品を託し

日野へと向かわせた際に、この辞世の句も

一緒に持たせたといわれています。






とても有名な句(短歌)ですよね。でも

じつはこれによく似た、別人の辞世の句があるのです。





身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂







歴史上のある人物の作ですが、

誰だかわかりますか?






はい、これは吉田松陰の辞世の句ですよ。

一目瞭然ですが、よく似ていますよね^^;






私はこのふたつが似ていることを知ったとき

「大変なことを知ってしまった!!」
と思いました

だって時間的に考えても、明らかに土方さんのほうが後。






「土方さんが松蔭の句をパクッた!?」

と思うじゃありませんか





土方さんの名誉を考えて、

「このことは私と土方さんだけの秘密にしておこう


と、本気で思いましたよ。







ところがその後調べてみたら、

知っている人は知っている話でした。

新選組関係の仲間ももちろん知っていましたしね。

そんなわけで、秘密じゃなかったので

こうしてブログにも載せています







さて、よく似た二つの辞世の句ですけど、

なぜこんなに似ているのでしょう?

明らかに偶然とは思えませんよね。






土方さんが真似たとしても、立場上「敵」である

長州の人物の辞世の句をなぜ?

第一、どこでどうすれば土方さんと松蔭に接点が生じるのか?

すごく疑問でした。






でも実はこのふたり、ある場所で接点があったんです






吉田松陰は、1852(嘉永5)年に東北を旅しています。

その際、会津も訪れて「日新館」などを見学しているのですよね。

その会津訪問中、宿泊していたのが

七日町にあった「清水屋旅館」でした

(ここでピンときました?ピンときたらスゴイです^^)







それから16年後、宇都宮戦で負傷した土方歳三が

会津城下にやってきて、宿泊所にしたのが、

なんとこの清水屋旅館だったのです





足を負傷して治療にあたっていた歳三は、

旅館の主や会津藩の藩士たちから、

松蔭訪問の話を聞いたかもしれません。

そのとき、松蔭の思いや辞世の句に

感銘を受けたかもしれませんよね。







効率が悪いなら「ちょんまげ」から「オールバック」へ、

「和装」から「洋装」へ変えるくらい、どうってことないほど

合理主義な土方さんですから、例え立場上「敵」の人物でも、

共感すべきところがあれば、さっさと取り入れるというのも

ある意味土方さんらしい気がします。






辞世は蝦夷で詠まれたものでしょうけど、

きっと心の中には、吉田松陰の辞世の句が

刻み込まれていたのでしょう。






もちろん想像の域は出ませんけど、

長い治療生活中(会津)や新政府軍が来るまで(箱館)は、

ものを考える時間は充分にあったと思いますので、

その可能性はなきにしもあらず、ですよね






ついでながら、松蔭の東北訪問のときに同行していたのが、

池田屋で新選組によって斃された、宮部鼎蔵でした。

交通手段がなく、人の行動範囲も限られていたこの時代に、

こんな偶然があるのですからね。

歴史って面白いです






ところで、土方さんパクリ疑惑についてですけど、

短歌には「本歌取り」という技法があるんですよね〜

深い教養なくして「本歌取り」はできないそうですので(笑)、

これはこれで良しと考えておきましょう



※「本歌取り」ってなんのこと? ⇒ 本歌取とは




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この記事に対するコメント

こんばんは。
私は、パクリとは思わず、東西に陣営は分かれも同じ日本人だから似た様な句になったと捉えています。
言いまわしと言葉の順序が違いますが、万葉集がルーツと云われる「海行かば」魂は一緒かな?。などと感じます。

ところで、大河ドラマ「新選組!」オンエアと自衛隊のイラク派遣、タイミングが合っていたことにお気づきになりましたか?。私の住まいの近くに自衛隊の駐屯地があり、地元商店街はイラクから帰還する自衛隊員を「黄色いハンカチ」を掲げて迎えました。この地元商店街の人たちの心、新選組を京に送り、無事の帰還を温かく迎えたかったのに、通り過ぎて帰って来なかった新選組を思う多摩の人たちの心を見たような気がしました。
幕末に故郷から京、そして戦場に赴いた人たち、多分「歌行かば」の歌詞のような気持ちで旅立ったと思いますし、辞世の句(歌)が似ていても、時代を超えて不思議ではないように思います。

松陰と土方歳三の接点。会津の清水屋旅館にあったのですか?歴史は意外な面を見せてくれますね。
和歌には本歌取りや連歌など古人は本当に教養がありますね。

  • 投稿者: -
  • URL
  • 2010/02/01(月) 23:38:35
  • [編集]

こんばんは、ご無沙汰しております。
パクリでは無く洗練された技術なのですね。
元の歌を当ててみたまえみたいな所もあったんですかね。

吉田松陰の碑、同じ市内の公園や隣の北茨城市の磯原、天妃山の前にもあります。

吉田松陰が天妃山近くの野口哲太郎正安(野口雨情の祖父の従兄弟で、野口家分家)宅を訪ねた時期には、下村継次も天妃山の弟橘姫神社の神官をしており、野口正安の家にも度々出入りしていた筈。

という事は下村継次こと芹沢鴨と吉田松陰も会っていた可能性が・・?

案外、こちらから新撰組に話が伝わっていたりしてと妄想してます。

スポッツ

允@遊撃隊さん、こんばんは。

「一途に思う魂は一緒」ということですね。
同じ日本人ですものね。
松蔭も会津の日新館を見たとき、すごく感動したそうです。
その時はまだ敵味方ではありませんでしたけど、良いと思ったものは敵味方関係なく良いものですものね。

自衛隊の話は参考になりました。ありがとうございます。


接点

どなたか存じませんが、コメントありがとうございます。

以前、清水屋旅館跡を訪問したとき、
吉田松陰がその場所に来たことがあると知って
とても不思議に思いました。
同じ場所に土方さんも宿泊していたなんて、本当に奇遇ですよね。

本歌取りは、千年以上昔の日本人が身につけていた教養です。
本当に昔の人ってスゴイな〜っと思います。
(宇宙に船を飛ばす現代人もスゴイですけどね^^)

茨木

スポッツさん、こんばんは。

茨木はなかなか行く機会がないのですが、
興味のある場所がありますね。
芹沢鴨と吉田松陰が会っていた可能性の地もぜひ行ってみたいです。
その場所に立ち、ふたりの会話を想像してみるのも面白そうです。

また、次回も情報よろしくお願いします^^

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