中島町 榎本町 人見町

  • 2010/09/13(月) 15:53:22


中島町・榎本町・人見町っていったら、

なんのことかわかりますか?




もちろん「町」とついているので

町名だということはわかりますよね。

じつはこれ、実在する町名なんですよ。





どれも函館にあります

明治初期の箱館は港の方には町割りがあって

町名もついていたようですけど、

五稜郭周辺はまだ、なかったみたいですよ。






だんだんと町ができ、町名をつけるときに

その地にゆかりの、旧幕府軍の名前もつけられました。

それで名付けられたのが中島町榎本町、人見町です。





ちなみに中島町は、

箱館奉行並・中島三郎助とその息子達の戦没地で、

彼らの忠節にちなんでつけられた名前です。

今でも商店街では

三郎助さんの記念祭が行われているようです。





榎本町は、榎本武揚の一言がきっかけで

湯の川温泉の湯が、以前より湯量が増えたことなどから

その功績を称えて名付けられたらしいです。

詳しくは過去記事 ⇒ 蝦夷の土方が入った温泉






榎本ゆかりの町名は他にも、武楊の号からとった

梁川(やながわ)町というのも、函館にありますよ。






そして、人見町

じつは中島町と榎本町は、私も前から知っていたんですけど、

「人見町」というのは知りませんでした。

先日の函館旅行のときに、地図でみつけてその存在を知ったのです。






「もしかして?」と思って

箱館奉行所見学の時に解説員さんに尋ねたら、

やはり人見勝太郎さんの名前から、つけられたとのことでした。






でも、なぜ人見町とついたのかは不明のようですよ。

箱館戦争当時、人見さんは松前奉行だったのに、

なぜ箱館の町で「人見」の名前がつけられたのか、

全く史料がないので理由がわかりません。

私も東京に戻ってから調べてみましたが、

なにもわかりませんでした。







人見さんは箱館戦争では戦死していないので、

中島三郎助さんのような理由ではありませんよね。





なにかしらの功績があって、つけられたはずです。

戦争とは関係なく、戦争が終わった後に

函館に訪問したなどで、なにかあったのかもしれません。

今後史料が発見されて、何かわかるといいですよね。






こんな風に、函館にはいろいろな発見があります。

旧幕府軍の名前が、町につけられるなんて、

実際に旧幕府軍のことを悪く思っていなかった人も

いたんだと思うと、なんとなく嬉しいです。

(もちろん迷惑だと思った人はいたでしょうけど…^^;)





ところで…





土方町っていうのは、

どこを探しても見当たりませんね〜





土方さんは五稜郭での協議の際、

商人から高い税金を取ることに反対して、

後日そのことを聞いた箱館の商人達に

大変喜ばれたというエピソードがあります。





それなら、その功績(?)を評価されて、

町のひとつやふたつ「土方町」とか「歳三町」とか

できてもよかったんじゃないかな…とも思いますけど





きっと、新政府軍に遠慮したんでしょうね。

土方町があったら、真っ先に訪問したんですけどね。

残念なことでした。。。



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