生麦事件の全容をみた!

  • 2011/08/31(水) 00:29:35

8月最後の日曜日、史跡めぐりに行ってきました

今回の史跡めぐりは横浜です。

横浜の史跡めぐりは、これで2回目なんですよ。




ちなみに1回目はこちらです。

過去記事 ⇒ 横浜散策、史跡めぐり




今回もいろいろと巡ってきましたよ。

何回かに分けてお話しますね。





さて今回の史跡めぐりのテーマは「開国」「生麦事件」です。

この二つはその後の 「倒幕 ⇒ 明治維新」 へと進んでいく

発端となる出来事ですよね。

行った順番にお話しますと生麦事件関連からになるので、

まずはそちらからです。





一緒に巡ったのは、昨年の函館に一緒に行ったKちゃんです。

彼女も新選組が好きなので、会うと話は尽きません。

お互いに調べてきたものを合体させ、

有意義な史跡めぐりをすることができましたよ






京急線の生麦駅から、国道15号線(第一京浜)へ向かって歩き、

その国道沿いを右に歩いていくと、

キリンのビール工場の入口のある小道にぶつかります。

そこが昔の東海道です。






以前、この工場に見学に来たことがあったのですが、

その際、工場の入口にある歴史看板を目にしました。

それが有名な「生麦事件」の看板だったんですよね。





それは生麦事件の犠牲になったリチャードソンが、

この地で絶命したという説明看板です。

大名行列の中に立ち入ってしまった4人のイギリス人のうちの1人、

リチャードソンは薩摩藩士たちに斬りつけられて必死に馬で逃げますが、

途中でとうとう力尽きて落馬します。

そこへ追いついた薩摩藩士がやってきて、重症の彼を見て

手当ての施しようがないと判断し、止めを刺したのがこの場所です。






でも現在は、ここに碑はありませんでした。

高速道路工事のため、平成28年まで

同じ旧東海道のもう少し川崎方面寄りに仮移転中です。




生麦事件の碑 遠景
生麦事件の碑 遠景 posted by (C)ルンちゃん

   生麦事件の碑
生麦事件の碑 posted by (C)ルンちゃん



その場所がこちらですよ。

この碑は明治になってから建てられたものだそうで、

建てた当時は屋根はありませんでした。

石の痛みが目立つようになって、保護のため屋根が作られたみたいです。

今は仮の場所にありますが、工事が完了した後は

元の場所に戻されるそうです。






リチャードソン絶命地から川崎方面に歩いていくと、

「生麦事件発生現場」
の説明看板が

設置されているのを見ることができます。

そこが、彼らが襲われた場所です。


生麦事件発生現場
生麦事件発生現場 posted by (C)ルンちゃん





昔の街道は道幅も狭く、こんなところで大名行列に遭遇したら、

どうしたって馬4頭は邪魔です。

現場を実際に見てみると、そんなことも

簡単に想像することができます。



生麦事件現場から横浜方面を望む
生麦事件現場から横浜方面を望む posted by (C)ルンちゃん


これらの場所は生麦駅から、そんなに遠くはありません。

歩いて難なく行かれる距離です。

そしてここまで来たなら、もう1箇所立ち寄りたい場所があります。




生麦事件参考館
生麦事件参考館 posted by (C)ルンちゃん


生麦事件参考館


私設資料館ですが、こちらの淺海武夫館長さんは

35年も前から国内外の生麦事件関連の史料を集めていらして、

ずっと生麦事件を研究なさっている方です。






その知識は豊富で、何の史料も見ずに

立て板に水が流れるが如く当時を語る様子は

スゴイとしか言いようがありません。

各地の講演会にも呼ばれているそうですよ。

私達も1時間ほどのビデオを拝見しましたが、

なんとなくわかっていたつもりの自分達の生麦事件の知識は、

実はほんの一握りの内容だったことに気付かされるのでした。





この生麦事件参考館に来たことで、見たことのない貴重な史料も拝見し、

当日の薩摩藩の様子、リチャードソンらがこの地に来たいきさつ、

その後の当事者たち、生麦事件から薩英戦争に至る過程、など

知らなかったことがいっぺんにわかり、視野が広がった気がします。






生麦駅から再び電車に乗り、仲木戸駅で下車。

国道15号線の道より2つ程手前の道を、横浜方面に歩いていくと

ほどなく神奈川宿の高札場を見ることができます。

その高札場を過ぎて歩いていくと、成仏寺があります。



成仏寺
成仏寺 posted by (C)ルンちゃん



ここは開国時に、アメリカ人宣教師の宿舎になったところです。

ヘボン式ローマ字をつくった有名な

医師ヘボンも一時住んでいた場所です。




そのまま突き当りまで道を歩いていくと、

浄瀧寺
が見えてきます。

ここは開港当時、イギリス領事館があった所です。


浄瀧寺
浄瀧寺 posted by (C)ルンちゃん


浄瀧寺の碑
浄瀧寺の碑 posted by (C)ルンちゃん


生麦事件の場所からは、ここが一番近い領事館になりますが、

当時イギリス領事館は、すでに外国人居住地に移っていたみたいですね。

ですから生麦で藩士たちに斬りつけられたイギリス人たちは、

もっと先の本覚寺まで行ったようです。
(何気に私達も彼らの辿った道を進んでいました)




本覚寺
はアメリカ領事館があったところです。

襲われた4人のうちの1人(女性)マーガレットは

この本覚寺まできますが、馬が石段を登れなかったので、

そのまま居住地の方へ向かったそうです。

本覚寺の階段
本覚寺の階段 posted by (C)ルンちゃん

本覚寺
本覚寺 posted by (C)ルンちゃん



あとの2人・マーシャルとクラークは怪我をしながらも、

この本覚寺にたどり着き、先述のヘボン医師の治療を受けたようです。

その後、生麦事件は波紋を広げ、薩英戦争へと発展していきます。

(薩英戦争も教科書に載っていない、興味深い話が多数あります^^)






こんな風に、今でも生麦事件の足跡を追うことができますよ。

なかなか有意義な史跡めぐりでした。

今回の生麦事件関連は、これで終わりますけど、

生麦事件参考館で聞いた話では、生麦事件の話は本当に奥深いです。





今回の生麦関連の史跡めぐりが有意義に行えたのは、

淺海館長さんのおかげです。ありがとうございました




あなたも生麦に行ったなら、是非この参考館に

立ち寄ってみて下さいね。

きっといろいろなものが、得られるはずですよ。

注…生麦事件参考館は予約が必要です。
(館長さんのご都合で、今は予約が取り難いかもしれません)




横浜史跡めぐり 開国編
に続く…



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この記事に対するコメント

横浜に住んでいながら生麦は行ったことがありません。大まかなことしか知りませんでしたが、この記事参考にさせていただきます。有難うございました。下の江ノ島、鎌倉などは地元といってもよいくらい近すぎて何度も訪れているた所為か、感動がイマイチになっております。すみません。

生麦

早々さん、こんばんは。

いつもありがとうございます。
横浜はいい所ですよね。
どちらかといえば山育ちなので、海は憧れます。
ぜひ生麦にも行ってみて下さいね。

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