ここは「仁」のロケ地だ!

  • 2012/01/28(土) 00:27:04

前回は、川越七福神めぐりのお話でした。

七福神めぐりは2時間もあればできてしまうので、

その後、城下町を散策することもできますよ。




もちろん私も七福神めぐりの後、散策しましたので、

今回はそのお話です





さて、川越にはその昔、

南院(多聞院)・中院(仏地院)・北院(仏蔵院)

という三院がありました。

慈覚大師が天長7(830)年に創建した

星野山無量寺にあったものです。





歳月を経て三院は独立し、その後、南院は廃寺になり、

「南院跡」に幾つかの石碑の名残りがあるだけです。





中院は現在の川越東照宮のある場所にありましたが、

天正16(1588)年に移され、今に至ります。

昔は三院の中での要になっていたようですが、

その後、北院の方が勢力を増し現在に至ります。

境内には、狭山茶発祥の地碑があります。





そして、北院。

今は「喜多院」と名乗っていますよ。

川越でも超有名なお寺ですね

天正16(1588)年に天海僧正が喜多院に来てから、

こちらが三院の中心となったようです。





天海僧正と江戸幕府との関係は深く、

僧正が江戸の町づくりにも大きく関わり

陰陽道や風水を利用して「東の京都」を構築した事は

有名な話ですね。






そんな深い関係は、川越で

寛永15年(1638)年に大火があり

ほとんどのものが焼失した際に、

庫裏や客殿・書院が江戸城から移築された

ということでもわかります。





江戸城はその後、

建物の焼失の憂き目にあっていますので、

移築されていたことは、かえって

良かったのかもしれませんね〜





話に登場していた川越東照宮は

仙波東照宮
と言って、「日光」や「久能山」と並び

「三大東照宮」と呼ばれていますよ。






徳川家康が亡くなる前、遺言として自らの遺骸を

日光東照宮に移すように伝えました。

死後、久能山から日光へ移葬されることになり、

その途中、喜多院に4日間逗留したそうです。

その縁もあって、天海僧正がこの地に

創建したのが「仙波東照宮」の始まりです。






最初の鳥居の辺りは、

よくある普通の神社にしか見えませんでしたが、

鳥居をくぐり、神殿に進むにしたがって

日光の東照宮に来ている錯覚さえ感じてきましたよ。




仙波東照宮
仙波東照宮 posted by (C)ルンちゃん



とくに神殿の部分は色具合などが

日光東照宮によく似ていますね。

三大東照宮があることは聞いたことがありましたが、

それが川越だったことは今回初めて知りました。

来ることができてよかったです。






かつて、川越にはお城もありました。

川越城は扇谷上杉持朝が太田道真(資清)・

道灌(資長)父子ら家臣達に命じて築城されたといいます。

この地は軍事上の要でもあり、

多くの武人たちがこの地にやってきています。






一時は後北条氏のものとなりますが、

豊臣秀吉の関東攻略にともない

前田利家らに攻められ降伏。






その後、徳川家康がこの地を得ると

自らは江戸城を構え、そして幕府の有力な大名に

この川越領を受け持たせるようにしたのです。





それでも築城当時は、

本丸・二ノ丸ほどの僅かの規模でした。

それが江戸時代になると幕府の重要ポイントとなるこの城に、

三ノ丸・追手曲輪・新曲輪などを造り、

規模を拡大していったそうです。





街の中にはそれらの遺跡が各所にあり、

それらを見学しながら、当時の城の大きさを想像すると

その規模に驚いてしまします。





そんな川越城も、

大政奉還・版籍奉還・廃藩置県と歳月を経るに従い、

城は解体され、学校や役所などの公用地や、

市民の住宅地へと払い下げられていきました。






近年、町の歴史を保存する動きが現われ、

わずかばかりではありますが、

当時の城を思わせる場所が残されています。






例えばこちら。

中ノ門堀跡


中ノ門堀跡
中ノ門堀跡 posted by (C)ルンちゃん

川越城の堀の様子がわかります。

堀の遺跡の上に民家が建ち並んでいるのは

払い下げがあったという話の通りですね。

でもなんだかとても不思議な光景なんですよ。





かつて二ノ丸があった場所は、

現在は博物館や美術館などがあります。





それからこちら。

川越城本丸御殿



川越城本丸御殿
川越城本丸御殿 posted by (C)ルンちゃん


現存する川越城の本丸御殿です。

明治になって県庁の庁舎として利用され、

その後も公共場として利用されていたことから、

現存することができたようです。





今は本丸御殿の玄関と広間部分などが残され、

見学することができますよ。






ちなみにこの御殿内で、テレビドラマの

「仁」の一部が撮影されたそうです

「仁」の物語の中で、川越藩の奥方様が

登場する場面があるのですが

それがご縁での撮影だったようです。





実際にドラマの中では

「川越藩松平家別邸の内部」として登場しました。

それから、役者の坂東吉十郎が転んで立ち上がれなかった

「芝居小屋の廊下」や「楽屋」も、ここを利用したのだとか。

(御殿のガイドさんの話^^)





他にも、勝海舟と板倉伊賀守が話をしていた

「幕府の建物の内部」としても撮影されていたようです

「仁」の場面を想像しながら御殿内を見るのも

また違った楽しみがありますね。

注…「仁」のロケ地は各所にあります




お菓子の花♪
お菓子の花♪ posted by (C)ルンちゃん



町を歩けばお菓子横丁の飴屋さんや、

お漬物屋さんなど、ひとつひとつが興味あるお店です。

有名な時の鐘も、今も現役で働いていますよ。

(お昼に鳴ってた^^)



時の鐘
時の鐘 posted by (C)ルンちゃん



今回いろいろなお寺やお店に行ってみましたが、

それでも全部は見られませんでした。

また機会を見つけて、ぜひ行ってみたいです


蔵のある風景
蔵のある風景 posted by (C)ルンちゃん



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この記事に対するコメント

ドラマのロケ地

春日局やつばさもゆかりの土地ですね。天海さんは徳川幕府の終焉を予言したとか。

お菓子横丁

やぶひびさん、こんばんは。

川越、いいところでした^^
ちょうど昨日も出かけたお仲間さんたちと、
川越のお菓子横丁の話をしていましたよ。
また行ってみたいです。

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