横倉甚五郎の命日

  • 2012/08/15(水) 00:11:03

新選組版、今日は何の日 です。



横倉甚五郎は、

土方歳三や井上源三郎のふるさと・日野市の隣りにある

八王子市堀之内の出身です。

天然理心流の門人でもありました。






彼は1864(元治元)年、

近藤勇らの東帰の際に行った隊士募集に応じて、

新選組に入隊しました。






油小路の変(伊東甲子太郎ら暗殺)では、

大石鍬次郎らと共に現場に出動しています。

その後に起こった伏見墨染の近藤狙撃事件にも

遭遇しました。







1868(慶応4)年1月の鳥羽・伏見の戦いの際には、

土方歳三らと共に参戦します。

江戸帰還後も甲州勝沼、会津戦争を経て、

けっきょく蝦夷地へも渡り、箱館戦争にも参戦するのです。






箱館戦争の終焉・五稜郭降伏の前に、弁天台場が降伏した時、

甚五郎は台場にいましたが、そのまま当地で謹慎となりました。






しかし坂本龍馬ら暗殺の嫌疑をかけられ、

同嫌疑で護送される元見廻組・今井信郎らと共に、

東京に送られ取り調べられることになるのです。






獄中では坂本龍馬暗殺について、

「何も知らない」と暗殺を否定し続けます。

しかし、その投獄の地で

とうとう命果てることになりました。





1870(明治3)年8月15日


(新暦に換算すると1870年9月10日)

それは弁天台場降伏後、1年以上も経った日のことです。

享年37歳。






甚五郎の墓は、現在八王子市鑓水の大宝寺にあります。

昭和51年の秋に横倉家で建てられた供養墓で、

今もご子孫によって、手厚く供養されています。





弁天台場で謹慎の際に詠んだという

彼の辞世の句が残っています。

義をたて つくせしことも 水の泡

   打よす浪に消て ながるも
」 




今日の記事はいかがでしたか?
「今日読んだよ、面白かったよ、役に立ったよ」の印に
応援クリックを頂けますと私の励みになります。

⇒ 歴史ブログ 幕末・明治維新

クリックをたくさん頂いた記事を、
今後の記事アップの参考にして、
もっと楽しい記事を作っていきたいです^^
 
                多摩人(たまびと)漫遊記 トップページに戻る

「横倉甚五郎の命日 」を読んだ人はこんな記事も読んでいます
ある隊士が粛清された日です (2009/06/22)
甲陽鎮撫隊、進軍の日 (2011/03/01)
開陽丸座礁の日 〜そして沈没〜 (2007/11/15)

この記事に対するコメント

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する