ち ば い

  • 2013/05/17(金) 00:13:05


ち ば い




ひらがなで書くと、何のことかな?

と思うかもしれませんが、漢字で書くと




血 梅





これは紅梅の木のことなんです。なんでも

この梅の枝を切ると、血がにじんだように

真っ赤な切り口なんだそうですよ。

だから、血梅と呼ばれています。






この血梅は、昔

八王子千人町に住む、千人頭の

石坂弥次右衛門の屋敷内にありました。






その屋敷を、井上源三郎の兄・松五郎の案内で、

近藤勇が訪れたことがあります。それは文久元年(1861)、

または2年の早春のことでした。






弥次右衛門や近藤らは

心和ませながら談笑したそうですが、

ふと庭に咲く血梅が、近藤の目に止まりました。

慎ましく咲くその花を、彼は大いに褒めたのだそうです。





弥次右衛門はその様子に、後日

接木か取木をして近藤に贈りましょうと約束します。





しかし、それからまもなく近藤の人生は劇変し、

仲間と共に京へと向かいます。そして数年後、

近藤は帰らぬ人となりました。





また弥次右衛門も、

日光勤番中に新政府軍の進軍に遭い、

無血で日光東照宮を引き渡すこととなります。





結果的には東照宮を戦火から守ったわけですが、

帰郷した弥次右衛門を待っていたのは、

抗戦派からの無血明け渡しの責めと、

自らの死(切腹)でした。






こうして二人の約束は残念ながら、

果たされることはありませんでした。

またその後の動乱で、血梅の行方すらも

わからなくなってしまったとのことです。





こんな風に、血梅には

近藤勇にまつわるお話があったのです。

行方知れずの血梅は、いったいどこへ

いってしまったのでしょうね?







じつはですね〜、

血梅は今も生きているのですよ

日野市にある蕎麦屋「ちばい」の庭で、ひっそりとたたずんでいます。





行方知れずだった血梅は、

千人町の石坂家の隣家の庭に残されていたのですよ。





昭和20年の八王子空襲で一時は

黒こげになってしまったのですが、

基は生き残っていて、再び芽吹いて

花を咲かせるようになったそうです。






その血梅から接穂を入手した方が、

友人だった日野の谷さんへ1本贈った木が

今でも残っているのです。





ちなみにその谷さんとは、日野の郷土史研究家であった

故・谷春雄さんのことですよ。

谷さんは、日野の新選組研究では第一人者でありました。

日野市にあった新選組史料を多数発掘したのも

谷さんの尽力です。





谷さんがご健在の頃は、私も何度かご自宅にお邪魔させてもらって、

新選組についてのいろいろなお話を聞かせていただいたり、

貴重な本をお借りしたりしたものです。

私のかけがえのない思い出です。





「ちばい」は、谷さんのご子息が数年前から

ご自宅で営業されている手打ち蕎麦屋さんなんですね。

先日の歳三忌のあった日、石田寺での法要の後に

即効で私達が向かったのは、

じつはこの「ちばい」だったのです


「ちばい」の看板
「ちばい」の看板 posted by (C)ルンちゃん


この日、大根おろし蕎麦をいただきましたが、

大根独特のさわやかな辛さが口いっぱいに広がって、

とても美味しかったですよ






暑い日差しの中を訪れた私達は、お部屋の中を通る涼しい風と共に

とても懐かしい雰囲気を味わわせていただきました。

ごちそうさまでした


「ちばい」の入口
「ちばい」の入口 posted by (C)ルンちゃん
「佐藤彦五郎 新選組資料館」のすぐそばにあります^^



血梅はその「ちばい」のお店の庭で、

今もひっそりとたたずんでいます。

そして今の季節(5月)には、みごとな梅の実が

私達の目を楽しませてくれます。


血  梅
血  梅 posted by (C)ルンちゃん

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