高木時尾さんち(跡地)訪問

  • 2013/08/25(日) 23:42:34

会津旅行 1日目(その3)


はい、前回の続きです

大河ドラマ「八重の桜」放送を記念して、現在

会津若松では「大河ドラマ館」を開催中です(来年1月まで)





「新選組!」放送の時も、

東京都日野市や調布市で開催していましたが、

ドラマで使用した着物や小道具が展示されていますよ


大河ドラマ館
大河ドラマ館 posted by (C)ルンちゃん



撮影禁止の場所も多くあったのですが、

「カメラOK」の所もあったので、撮ってみました。

例えばこちら

綾瀬はるかさんのスペンサー銃
綾瀬はるかさんのスペンサー銃 posted by (C)ルンちゃん

添え書き
添え書き posted by (C)ルンちゃん




鶴ヶ城ろう城のシーンで、

綾瀬はるかさん演じる八重が撃っていた、スペンサー銃ですよ。

銃を見たとき、あの場面が浮かんできましたね。

「ならぬものは ならぬものです」(なんて





八重と中野竹子の衣装
八重と中野竹子の衣装 posted by (C)ルンちゃん




こちらもドラマをご覧になっていたら、

すぐわかりますね。そうです。手前は八重が身につけていた

亡き三郎(弟)の着ていた服(着物)です。

そして奥は、黒木メイサさん演じる中野竹子の衣装ですよ。





大河ドラマ館では他に、

八重の実家にある角場を再現した場所での銃体験や、

お城のろう城体験(っていうのか? 画像です)

などができます





沢山の資料というわけでもありませんが

この1年間だけの施設ですので、会津に来たら

話のタネに見学しておくといいと思いますよ





さて「大河ドラマ館」も見たことですし、折角ですので

山本覚馬さん、八重さんゆかりの場所へも足を運んでみましょう。

最初に行った場所は「日新館跡」です。

藩校・日新館跡碑
藩校・日新館跡碑 posted by (C)ルンちゃん



鶴ヶ城から、それほど離れていない場所に「日新館」はありました。

「日新館」は会津藩の藩校のことです。

当時「日新館」は他藩の藩校と比べてみても、

とてもレベルの高い学校でした。






藩校には、八重の兄・山本覚馬も通っていましたよ。

成績優秀だったので、江戸への遊学も許可されていますね。

帰国後は、日新館の教授にもなっています。

きっと覚馬にとっては、思い入れの深い場所だったことでしょう。






敷地だったという場所をグルリと歩いてみると、

かなり広い面積だったことがわかります。でもその藩校は

会津戦争で新政府軍が城下に責めてきたとき、

敵の手に落ちるくらいならと、藩士たち自ら火矢を放ち

日新館を焼いてしまったのです。






現在、小高く築いた天文台の跡だけが

当時の面影を知る場所となっていますが、

ここに着くまでも結構な距離がありましたね。



日新館天文台跡
日新館天文台跡 posted by (C)ルンちゃん


このアングルの写真は、よく本に載っていますよね

私もここに到着して見上げた時、「あっ、見たことある」

なんて思いました。





でも、反対側はあまり見ませんよね。

さて、どうなっているでしょうか?

天文台跡
天文台跡 posted by (C)ルンちゃん




こんな風景でした。

階段を上ってみると、かなり急なんですよね。

上りはいいけど、下りはチョッと怖かったです

でも、いい体験





天文台跡から、八重・覚馬の実家へ向かいます。

歩いてみるとわかるのですが、日新館から八重宅までは

意外と近いのです。覚馬さんはこの距離を

日新館まで通っていたんですね。



山本覚馬と八重の誕生地碑
山本覚馬と八重の誕生地碑 posted by (C)ルンちゃん



普段は閑静な住宅街なのでしょうけど、

大河ドラマの影響で、こちらへ訪れる人も多いようです。

(「近隣に迷惑かけないで下さい」の注意の看板がありました)

実際の八重達の自宅があったのは、碑よりも数十メートル

隣のようです。






最近よく山本八重と高木時尾さん(斎藤一さんの奥様)が、

幼なじみだったという話を聞きます。

お互いの家が近かったんですって。

今回こちらへ訪問して、どのくらい近いかわかりましたよ。

この看板みて下さい。



高木時尾と八重の家
高木時尾と八重の家 posted by (C)ルンちゃん
緑の枠は、ルンちゃんが付けました




ほらね、こんな感じだったんですね。

ちなみに時尾さんちのお隣りさんは、日向ゆきさんち。

ちょうど碑のある裏手の方が、時尾さんとゆきさん宅が

あった場所なので、行ってみました。





もちろん昔を偲ぶものは、何も残っていません。

でも「この辺りかな?」ってKちゃんと言いながら、

幕末に想いを寄せてみましたよ。






ひと通り見終えたので、ここから鶴ヶ城入口まで

ゆっくり戻ります。この時点で

本日2万歩以上歩いています。ですからもう

早く歩けなかったというのが事実ですが…





鶴ヶ城の北側・正面の通りには、西郷頼母邸がありました。

今は「西郷頼母邸跡の碑」が建てられています。

ここで頼母家のご家族が自刃されたのですね。

お城に入ろうと思えばすぐに入れる距離なのに、

足手まといになるまじと覚悟をされたのでした。


西郷頼母邸跡の碑
西郷頼母邸跡の碑 posted by (C)ルンちゃん




そしてそのまま北へ進むと、

会津戊辰戦争終結の地の看板
会津戊辰戦争終結の地の看板 posted by (C)ルンちゃん



1ヶ月のろう城の末、とうとう会津藩は降伏しましたが、

その降伏の式を行った場所がこちらです。

緋毛氈に乗る容保様父子のこの図は、いつ見ても

胸を打ちますね。殿の心痛お察しいたします。




会津戦争締結の地
会津戦争締結の地 posted by (C)ルンちゃん



降伏した場所からお城方面を見上げると、

しっかりお城が見えますね。切り刻んだ緋毛氈を握り締めて、

会津藩士たちは、ボロボロになったお城を見たのでしょうか?


降伏の調印の地から城を望む
降伏の調印の地から城を望む posted by (C)ルンちゃん




この日の史跡巡りは、こうしてお城を見て終わりました。

かなりハードな旅(暑さも含め)ですが、

翌日はどうなるのでしょうか?




次回に続く…


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