清河さんは生しらすを食べたのか?

  • 2012/09/04(火) 00:56:54


8月が終わり、お仕事もやっと一区切りできました

これでPCに向かう時間も増やせると思いますので、

また少しずつ記事UPしていきますね。





さて、少し時間は経ってしまいましたけど、

お盆休みのネタなど…

これは新選組とは関係なく、江の島の話です。

こじつければ、清河八郎さんつながりになりますけどね

(清河さんがお母さんをつれて、江の島に来たことがあるから…)







お盆休み、久しぶりに江の島に行ってきんですね〜。

今回のお目当ては、江の島の展望灯台に上ること。

ほら、この島のてっぺんにある建物ですよ

これに上ろうと思ったのです。

また来たよ、江の島♪







江の島へは子供の頃から毎年何度も来ています。

でも展望台には、一度も上ったことがなかったのです。

いつも裏側の岩屋のある岩場ばかり。






でも最近、展望台が妙に気になって、

今度来たときには、上ってみようと思っていたのです。

いつものように「片瀬江の島」駅を降りて、

弁天橋を渡り、江の島に入ります






それですぐ目的地をめざすかと思えばそうでもなく、

まずは腹ごしらえ〜

今回も、「貝作」さんに立ち寄ってみました。

その理由は、2階から海を見てみたかったから。

そしてもうひとつは、生しらすを食べたかったので…







江の島の名物のひとつに「生しらす」があります。

しらすはイワシ類の稚魚で、釜揚げしらすは

誰もが知っている一品ですよね。

そのしらすの採れたてが、ここで味わえるんですね〜。






でもちょうど行ったその日は、お盆休みで

漁師さんも休業だったんですよね。

休業っていうことはわかっていたので期待してなかったのですが、

なんと貝作さんのところだけは、午後に入荷される予定だったのです。







お店に入って海岸の風景を眺めていたら、

「生しらす、入りました!」の声が…

「どうしようかな?」 とチョッと考えた末、

やっぱり生しらすを追加注文してしまいました。





追加じゃ〜っ!
追加じゃ〜っ!




ピチピチプリプリしらす \(^0^)
ピチピチプリプリしらす \(^0^)




「今、船から揚げてきました」という通り、

1匹1匹の形がしっかりしていて、ピチピチプリプリッ!

ここまで新鮮なのは、やはりここじゃないと味わえませんね。

ああ、今年も食べられてよかったです。








ちなみに、この江の島に来たことのある清河八郎さんは、

この「生しらす」を味わったのでしょうか?

ふと疑問に思ったので、後で調べてみましたよ。







江戸時代は地引網でいわしを獲っていたみたいですよ。

でもそれは食用じゃなくて肥料用でした。

昔は冷蔵の技術がないので、

魚偏に弱いと書くくらい弱い「鰯(いわし)」は、

傷むのが早くて食べられなかったのかもしれませんね。







明治20年頃に食用として、

三浦半島で「しらす漁」が始まったそうです。「しらす漁」は、

今では船曳き網漁(沖に出た船二艘で網を引っ張る)が主流ですが、

昔のような地引網(陸地で網を引く)ですと、陸地に近い分、

新鮮さは保たれたと思われます。それも現地だけですけどね。







地引網自体は江戸時代でも行われていたので、

現地では食べていた人もいたのかもしれません。

でも、清河さんが食べていたかは不明です。

きっと食べていたなら、手紙とか日記で

残していそうなんですけどね

さて、話を江の島へ戻しましょう。



江の島 シーキャンドル
江の島 シーキャンドル




江の島の展望灯台・シーキャンドルがあるのは、

島の頂上にある「江の島サムエル・コッキング苑」内です。

ここは江の島に別荘を持っていた、

サムエル・コッキング氏が作らせた庭園だった場所ですよ。

敷地内には片瀬海岸を見渡せる場所もあります。


東洋のマイアミ ^^;
こちら、東洋のマイアミと言うんだそう^^;



展望台へと続くエレベーターで上へ。

湘南の海が見えますね〜。

こちらは西浜
西浜が見えます^^





富士山も見えます

その下にはエボシ岩♪

富士山&エボシ岩
富士山&エボシ岩の組合せは
なんだか嬉しい^^





島なので、四方の海が見渡せ気持いいですね。

季節によっては、ダイヤモンド富士も見られるそうです。

冬の澄んだ空気の中では、また違った雰囲気が味わえるのでしょうね。






というわけで、夏の江の島展望台を味わったルンちゃんは、

また冬の展望台に来てみたいと思い、島を後にしたのです。

今度はぜったい、冬に出かけるつもりです

波高し!!
おまけの写真。この日は風が強く、
波がとっても高かったのです。



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『絹の道資料館』という所

  • 2012/08/01(水) 00:40:34


八王子市の鑓水に、

絹の道資料館』 
というのがあるんですよ

以前は仕事の関係で、週に1〜2度の割合で、

その資料館の前の道を車で通っていたんですよね。





「鑓水(やりみず)」は、周囲より少し高所にもなっていて、

土地には豊富な雨水を含んでいました。昔は山の崖に

節をくり貫いた竹を刺してみると、そこから水が出てきた

というほどで、そこから「鑓水」という名前もついたそうなんです。






資料館の周りには、今でも田んぼがありますよ。

ルンちゃんお気に入りの、のどかな田園風景です。






『資料館』というくらいだから、

何かの展示資料館なんだろうな とは想像していたのですが、

新選組関連じゃないので、なかなか立ち寄ることもなく…






でも「いつかは立ち寄ってみたいな〜」なんて

ずっと思っていたんですよね。

結局、あれから何十年も経ってしまったのですけど、

思い切って行ってみることにしたのです





『絹の道資料館』は、鑓水に住んでいた生糸商人である、

八木下要右衛門の屋敷跡に建てられた資料館です。






江戸時代の中期、幕府は飢饉回避のための対策として、

稲作以外の収入源となる生糸生産を奨励していました。

八王子ではその生糸や絹織物の生産が盛んで、

「桑都」と呼ばれていたほどなんです。






ペリー来航以降、幕府は外国との交渉の末、

開国に踏み切ることにしました。

まあ、せざるを得なかったということですけどね






当初は石炭や食料の補給地としての役割だけだったのに、

結局は貿易までも行うことになり、

「絹やお茶が輸出されるようになった」とは

学校の教科書で読んだ通りです






開国の時には

「攘夷!!」なんて叫んでいる輩もいたようですが、

八王子は開港した横浜に近いという利点から、

いち早く生糸や絹織物などを神奈川や横浜に運んで

富を得ていたようです(一部の商人が ですが)

そして鑓水で「生糸商人」と呼ばれる人々が登場したんですね。






その商人たちが横浜まで品物を運んだルートは

「浜街道」とも呼ばれる道で、通称「絹の道」、

日本のシルクロード
というわけですよ






今でもその道が一部残っていて、保存に努めた1キロ程の道は

「歴史の道百選」「市指定史跡」のひとつにも選ばれています






その道の近くにあるのが、ここ『絹の道資料館』なんですね。

ちょうど「絹の道」の散策途中に立ち寄れるようになっていて、

生糸のことや、八王子で活躍した生糸商人のことについてが

わかるようになっています。




絹の道資料館 遠景
絹の道資料館 遠景 posted by (C)ルンちゃん


 

八木下要右衛門屋敷の敷地内には、

螺旋階段のある建物もあったようで、

当時としてはモダンな感じだったようです。






今の建物は発掘調査の後に建てられたものだそうですが、

特に復元された建物というわけでもありません。

木をふんだんに使った建物で、重厚な感じはしますけど。





建物内や外の部分(いちおう敷地内)には休憩所もあって、

散策の後にみんなでお弁当を広げるのに

もってこいの場所です。





外には発掘調査で確認できた堀や建物の遺構が残され、

鑓水(竹竿)から出ている清水も見ることができます。

とても雰囲気のあるいい場所なんですよね





でも、訪問した感じでは

お客さんが少ない印象を受けました。

無料で入れる施設なんですけどね。

日野の「新選組ふるさと歴史館」の方が

ずっと人が多いと思いますよ。





立地場所が不便だからでしょうか。

いなか道だから、行きづらいのかもしれません。






展示物も「なるほど〜」と思う部分もありますが、

チョッと物足りない気分も残りますね。

何が足りないんだろう?

たぶん「また行きたい」と思うような

魅力に欠けるのかもしれません。





まあ、初めての印象なので

本当はもっと見ていない魅力があるのかもしれません。

残された古道も含めて見聞すれば、

感動も湧くのでしょうか?






その辺はわかりませんけど、

いくらかの期待を持ちつつ、再訪の機会を待つことにしましょう。

(いつだろう〜?^^;)




というわけで『絹の道資料館』初訪問の感想でした



絹の道資料館入口
絹の道資料館入口 posted by (C)ルンちゃん



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江戸時代の栄養ドリンク

  • 2012/07/19(木) 12:02:45


関東地方も梅雨明けとなり、毎日暑い日が続いていますね。

ルンちゃんは既にバテ気味なんですけど

あなたは如何ですか? 夏バテしていますか?






夏バテ気味(?)のあなたに、チョッと質問です。




質問

江戸時代、夏バテ対策に飲まれていた物があります。

それは現代にもある飲み物ですが、

いったいなんのことでしょうか?


   ↓

   ↓

   ↓

   ↓

   ↓

   ↓

   ↓

   ↓

   ↓

   ↓

   ↓

   ↓



答え
   甘酒ですよ〜





今では冬の季節に飲まれることが多い「甘酒」ですけど、

江戸時代には、真夏に暑気払いとして

飲む習慣があったんですね〜。





その名残りか、

俳句の世界では夏の季語の中に

「甘酒」という言葉も入っていますよ






江戸時代は夏の暑さ等で亡くなる方も多くいて、

当時の江戸幕府は低所得者にも

栄養補給飲料として飲んでもらうために、

価格制限までしていたそうなんです。






ではなぜ甘酒が、夏バテ対策の飲み物になるのか?

それは、含まれている栄養成分にあります






甘酒は製造過程で、

必須アミノ酸やビタミンB1・B2・B6、

パントテン酸、イノシトール、ビチオン、

オリゴ糖などができるらしいのです。






それらは現在、病院で使われている点滴の成分と

ほぼ同じ成分なんですって。それで甘酒のことを

「飲む点滴」なんていうこともありますよ。






また、原料の麹(こうじ)に由来する、 

オリゴ糖や食物繊維は整腸作用もあるので、

「ジャパニーズヨーグルト」と

呼ばれることもあるようです。






現代のように、サプリメントも点滴もなかった時代、

先人の生活の知恵のひとつとして

「甘酒は体に良い」ということを

江戸の人たちは知っていたんですね






ですから現代人の私たちも

「夏バテ気味だな〜」と思ったときに、

甘酒を飲んでみると良いというわけです。

どうです? 甘酒いかがですか?






ちなみに江戸時代は、暑い時期に

甘酒を冷やして飲んだそうですよ。

ついでに平安時代は牛乳を入れて飲んだそうです。

(注…甘酒は古墳時代からあったらしい。スゴイ!)






他にも、レモンやゆずを入れても美味しいです。

どうぞお試し下さいね♪






もしかしたら、試衛館にいた人たちも、盛夏には

沿道の「甘酒売り」から甘酒を買って

飲んでいたかもしれませんね〜。

近藤先生は甘党だったから、飲んでいた可能性は高そう。







あ〜でも、他のメンバーは

「甘酒が体にいいなら、酒でも(体に)いいだろう」

なんて口実作って、お酒の方を飲んでいたかも





想像はつきませんが、私も先人を見習って

冷やし甘酒をいただこうと思っています


先人の知恵♪甘酒



補足…甘酒には「麹原料」と「酒粕原料」のものがありますが、
   「酒粕原料」ですと若干アルコール分がありますので、
    ご注意下さいね。




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労咳にご用心

  • 2012/07/12(木) 00:15:17

「労咳」という言葉を聞くと、

このブログを訪問してくださるあなただったら、

真っ先に新選組の沖田総司の名を思い浮かべることでしょう。

私も同じです。






沖田総司を死に至らしめた 憎き病は、

昭和(戦後)になって新薬が開発されたおかげで激減し、

いつしかそれはもう遠い過去の病だ

と思うようになっていました。





ところが最近になって、

この病名をよく聞くようになったのです。

先日もニュースで話題になっていましたよね。





「労咳」とは、今でいう「肺結核」のことですよ。

明治から昭和20年代までは「国民病」と言われたほど、

多くの人々がこの病で苦しんでいました。





歴史上の人物でも結核で亡くなった人は大勢いますよね。

例えば沖田総司と同じ頃なら、長州藩の高杉晋作もそうでした。

明治以降でも、陸奥宗光や樋口一葉、正岡子規など…

チョッと思い浮かべただけでも、次々と名前が出てきます。






学生時代、私は沖田総司つながりで

結核の本をいろいろ読んだことがありました。

そのとき、この病の恐ろしさを知りましたが、同時に

結核は薬が開発されて激減したとあったので、

安心していたんです。






でも結核菌は絶滅するどころか、

薬の耐性をつけるなどで生き続け、

今でも私達を感染させるかもしれない

という可能性を持ち続けているのです。






健康な体なら、たとえ結核菌が侵入したとしても

免疫力の方が強いので負けはしません。

でも高齢者のように加齢で体力が衰えていたり、

栄養状態が悪いなどで免疫力が低下してきたりすると、

発病する可能性が高くなるのです。






また若い方は、戦後に結核菌が激減したことにより、

未感染の場合が多く、そのために

結核菌に対しての抵抗力が低い分、

かかり易くなっているともいわれています。






例えば、芸能界でのタレントさんたちのニュースは、

あなたの記憶にも新しいですよね。





結核は風邪の症状によく似ています。

咳がなかなか止まらず、長引いているようなら、

病院でしっかり診てもらったほうがいいかもしれません。






私の経験なんですけど、前に

咳がなかなか止まらずにいたことがありました。

そのとき、お医者さまに「念のために」と言われて、

レントゲンを撮ってもらったことがあります。





結果は「きれいな肺でしたよ」という異常なしの回答で、

すごくホッとしたものです。

あの時、ずーっと不安に思っているよりは、

さっさと診てもらって良かったなと思いました。
(※検査方法はいろいろあるようです)






結核感染の予防には、まず

結核がどんなものかを知ることが大切ですよね。

「公益財団法人 結核予防会」のホームページなどは

とても参考になりますよ。

⇒ 公益財団法人 結核予防会 HP


 


この会では有料パンフレットを発行していて、その中には

結核マンガ 沖田くんのタイムスリップ
というのもあります。

表紙は沖田総司のイラスト付きで、結核についての

基礎知識がわかるようになっています。

こういうものから結核を知るというのも、良いかもしれませんね。



沖田くんのタイムスリップ
平成24年改訂 [ 尾形英雄 ]



結核についての基礎知識は、結核予防協会のホームページ内でも

わかるようになっています。

自分の身を守るひとつの知識として、どうぞご活用下さいね。





いくら沖田さんが好きでも、

彼と同じ病には 絶対なりませんように

労咳(結核)にはくれぐれも、ご用心、ご用心…



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第15回 ひの新選組まつりにて…

  • 2012/05/15(火) 00:36:30


いつも5月の第2日曜日(つまり母の日)は

「歳三忌」があって、そちらに出席していたのですが、

今年の歳三忌は土曜(12日)に行なわれてしまったので、

行かれずじまいで、終わってしまいました (仕事だったので





そんなわけで、日曜日が空いてしまったので、

同じ時期(12・13日)に開催する「ひの新選組まつり」に

行ってみましたよ






今年で第15回。 節目ということで、

日野市まちおこし連絡協議会や ひの新選組まつり実行委員会なども、

力を入れていたみたいです。






参加人数も今までで最高の、800人とのことでした。

地元の人はもちろん、新選組に関わりのある東北の方々、

その他、各団体の皆さん総出で活気のあるお祭りになる

…はずでした。





私が会場に着いたのは午前11時半過ぎで、

西洋流砲術の演武会場には人が集まっていましたよ。

「あれ?でも、時間的にはもう終わっている頃なのに、

 演武が長引いているのかな〜?」

なんて思いながら通り過ぎ。






市役所隣りの市民会館前には、たくさんのパトカーが並んでいました。

「変だな」となんとなく思いつつも、産業まつりでは

パフォーマンスで消防自動車が止まっていることもあったので、

「似たようなものかな?」と思いつつ、各ブースめぐりをしたんですよね。

新選組ゆかりのブースにも立ち寄って、パンフレットなど

いろいろ貰ってまわりました。





市民会館内では「薄桜鬼」のグッズを販売しているはずでしたが、

なぜか会場は閉まっていて入れません。

入口にいた係員さんに聞いてみたところ、諸事情で今、

立ち入り禁止状態になっているとのことでした。

広場のイベントも始まる気配はなく…





そんな中で、飲食関係のお店は繁盛していましたよ。

「会津のカレー焼そば」や「佐世保バーガー」、

「白河バーガー」「山形の玉こんにゃく」「焼き鳥」など。

どこもたくさんの人が並んでいて、にぎやかな様子。

私もいくつか並んで、午後のための腹ごしらえをしました。





会津のカレー焼そばが、ちょうど売り切れてひと段落する頃、

場内放送が。

午後のイベントがすべて取りやめになるらしい。

最初、理由がわからなかったのですが、

何度かの放送で「市民会館に爆弾をしかけた」という

不審な電話があったということがわかりました。






万一のことを考えて、広場や会館内で行うすべてのイベントは中止。

模擬店も取りやめ、パレードも縮小。

速やかにその場を退出するようにとのことでした。

この後も、いろいろなパフォーマンスがあったのにね…





来る時に乗ったバスの中には、

綺麗な衣装に着飾った小学生の女の子が

お母さんや妹さんと一緒にいました。





なんでも昨日から髪にカーラーをつけて

今日の準備をしていたらしいです。

幼い顔につけまつ毛&完璧なお化粧、

そしてほっぺたにアクセントのハートマークまでつけて

この日のダンスを楽しみにしていたのにね…






焼き鳥店のおじさんは、追加の肉を解凍して

次の準備をしていた矢先でした。

このお肉、どうなってしまうのでしょう?






しぶしぶながらも移動する人達。

これから楽しもうと会場に入って来る人たちは、

イベント中止の理由もわからず…不思議そうな顔。





「バクダンが仕掛けられたんだってよ」

そんな声も、あちらこちらで囁かれます。





別な場所で、一部は行われるような話もあったようですが、

そのまま駅に向かった人達には、さらに人身事故による電車停止

という不運もあったそうです。






私はといえば幸いなことに、最初から予定していた12時半からの

日野宿交流会館での抽選会に参加したり、

日野駅前郵便局にある特別公開中の

「吉田屋(屋号)」のお蔵を見学したりしていました。






また、八坂神社で年数回しか公開されない、

近藤や沖田の名前の入った「天然理心流奉納額」を

見学したりもしていたので、

直接的な被害は全くありませんでした。






なにかしらの不運に見舞われた方には、本当にお気の毒なことでした。

来年はこんなことのないようにと願ってやみません。

みんなが楽しく過ごせるようにと祈るばかりです。

遠くから来た方は、これに懲りずに

どうぞまた日野に来て下さいね。

来年も負けずに盛大にやって欲しいです。



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京都めぐりのお供に^^

  • 2012/04/17(火) 23:42:53

私事ではございますが、

今度のゴールデンウィークを利用して、京都へでかけることになりました。

大河ドラマ「新選組!」放送時以来の訪問なので、

私にとっては8年ぶりです





どんな旅になることやら。 今からとても楽しみ〜♪





それで今、史跡めぐりのコースを

吟味しているところなんですよね。

史料をいろいろ引っ張り出して調べていますが、

行きたい所がいっぱいありすぎて、簡単には決められません





第一、私の行くような所は観光地じゃないので、

いちいち場所を探すのだけでも一苦労です。





でも、救いはありますよ〜。

苦労している私の強い味方が、じつはあるんですよね〜。

多摩版ではいつもお世話になっている、こちらの本ですよ。





『ふぃーるどわーく』 発行元/歳月堂

  HPに飛びます
 




『ふぃーるどわーく』は 歳月堂さんが発行している

新選組を訪ねる本
ですよ

新選組好きな歳月堂さんのお二人が、

関連の史跡に何度も足を運んで、細部にわたって調べたものなんです。





よく知られている あの場所はもちろん、

「えっ、こんな所に新選組ゆかりの地があったの?!」

なんていう場所まで、丁寧に書かれているんですよね

しかも史跡までの交通(バス)案内までも、

しっかり出ているので、とてもありがたいっ!






最近、市販されているガイドブックの中には

「幕末史跡を訪ねる本」なんていうのも、見かけるようになりました。

でも『ふぃーるどわーく』は、それよりもずっと前から登場している、

新選組史跡ガイドのさきがけ
ともいうべき本なんですよ





なによりうれしいのは、沢山の史跡が載っているのに

持ち運びし易いB6判の大きさと、リーズナブルなお値段

お寺にある史跡の位置までも記されているので、

迷うことなく目的にたどり着くこともできます。





今回でかける京都編では

ふぃーるどわーく 京都 東

ふぃーるどわーく 京都 南

ふぃーるどわーく 京都 西


というのがありますが、もちろん全部持っていくつもり〜

今もそれを頼りに、地図とにらめっこしているのでした。






こんな風に、旅前からいろいろ調べて

楽しい京都旅行にするつもりです。

旅先の様子は、このブログでもアップしていきますので、

どうぞまた見に来て下さいね





『ふぃーるどわーく 京都 西』は現在、改定版で発売されていますよ。

あなたも京都へ行く時には、ぜひ

『ふぃーるどわーく』をお供にどうぞ〜

FW-kyoto-w

『ふぃーるどわーく』 歳月堂

手のひらサイズで使いやすいですよ^^

 

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新機能がつきました^^

  • 2012/03/29(木) 11:23:32


いつも「多摩人漫遊記」に訪問&コメントを頂きまして、

誠にありがとうございます

今回、いつもご参加いただいているアンケートに

「面白いな〜」っと思った新機能が付いたので、お知らせしますね





それは「回答者データー」というもので、

年代や性別、地域ごとに、それぞれの回答を円グラフ化したものなのです。

アンケートの項目によってデータが変わるので

眺めてみると面白いですよ。

また、自分と同じような人がいらっしゃるかな?

なんて同志を確認することもできます




例えば

あなたが真っ先に会いたい新選組幹部は誰ですか?

とか

歴代の土方歳三あなたのお気に入りは?

ですと、「年代によって選ぶ人も変わるだろうな」

と、想像もできますし、ある程度は思った通りでした。




でも、

試衛館メンバー以外であなたの好きな新選組隊士を教えて下さい


ですと、地域などは全く想像もできなかったのですが、

面白いことに「地元に縁のある人を選ぶ」

という傾向があることがわかり、「なるほど〜」

と妙に納得してしまったのです





こんな風にグラフを見ていたら、いろいろなことが想像できて、

時間の経つのさえ気付きませんでしたよ




人に寄って気づきは違うと思いますので、

よかったら結果を見て、いろいろ感じてみて下さいね




もし、アンケートがまだでしたら、

そちらもご参加いただけると嬉しいです

年齢・性別・地域とかは、答えないことも可能ですから、

気軽に参加してみて下さいね。




追記… 他にもありますよ〜。こんなアンケートはどうですか?

あなたが今一番行きたい、新選組関連史跡の場所は?


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河上彦斎と土方歳三

  • 2012/03/15(木) 13:36:47


河上彦斎(げんさい)といえば幕末の暗殺者、

佐久間象山を暗殺した人物といえば、わかりますよね。

薩摩の田中新兵衛や土佐の岡田以蔵と同様に、

「人斬り」の異名を持つ「人斬り彦斎」のことですよ。





最近の話題ですと、「るろうに剣心」の

剣心のモチーフとなったのが、彦斎だそうですね。

この彦斎、土方歳三と妙なつながりがあるのです。





こちらのブログで以前に、

土方歳三の辞世の句(和歌)と吉田松陰の和歌が、

すごく似ているというお話をしました。

過去記事 ⇒ 「歳三辞世の句」の秘密(?)







どうして二人の和歌があんなに似ているのか

いろいろ想像してみましたけど、実はもうひとり、

似たような和歌を詠んだ人がいるのです。





それが河上彦斎なんですね。(つまり、和歌つながり^^)

では、どんな感じなのか。

歳三の和歌をおさらいしながら見てみましょう




たとひ身は 蝦夷の島根に朽ちるとも 魂は東の君やまもらん

(よしや身は蝦夷が島辺に朽ちるとも魂は東の君やまもらむ、とも) 





はい、こちらが土方さんの和歌でした。

もう充分ご承知ですよね

そして、吉田松陰の和歌の方はこちらなんですよ。





身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂





どうです?  似ていますよね。

今度は河上彦斎の和歌です。





たとひ身は 夷の国に朽ちぬとも 吾がみよしのの花は忘れじ






内容は違いますけど、語彙や文の並びは

とてもよく似ていると思いませんか? 面白いですよね。

では彼らに、なにか接点はあったのでしょうか?

(ここからは、私の勝手な推察です^^;)





河上彦斎という人は、人を斬ることに抵抗を持たない、

「近づくと怖い人」というイメージがあります。

でも実際の彦斎は勉学に励み、和歌もたしなむ

繊細で観察力に優れた人だったようです。

そしてこの人が師事していたのが、宮部鼎蔵なんですね。





宮部といえば、池田屋事件で新選組の襲撃にあい、

命を落とした人物です。彦斎は宮部と松田重助のために

墓碑まで建立したそうです。





宮部鼎蔵は吉田松陰と友好があり、

共に東北周遊に出かけて、会津では

清水屋旅館に泊まっています。

(その数十年後、歳三も泊まっています^^)





河上彦斎の作った和歌が、吉田松陰の和歌に似ているのは、

宮部鼎蔵つながりゆえなのかもしれませんね。

他にも彦斎は、長州とも関わりがあったので、

そちら経由も充分考えられますけどね

(あくまでも推察です。あしからず…)





ところで、河上彦斎と歳三(というか新選組)とは

少なからぬ因縁を持っています。

先の池田屋事件で、宮部鼎蔵を倒したのは新選組ですし。





そして、佐久間象山を暗殺したのは彦斎ですが、

象山の息子が敵討ちのために入ったのが新選組ですよ。

その絡みで新選組側も彦斎の捜索をしていたことでしょう。





そんな仇敵みたいな二人が、「たとひ身は…」

という同じ語彙で始まる和歌を作っていたなんてね。

なんだか不思議で、面白いです。


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「燃えよ剣」DVD版の特典

  • 2012/03/06(火) 11:49:38


この前、テレビドラマ「燃えよ剣」のDVDを観たら、

意外なものが入っていたので、

お知らせしておきますね




「燃えよ剣」のDVDは、

なかなか発売されなかったのですが、

昨年の4月にやっと出たんですよ。

それは、こちらでもお話しましたよね。

過去記事 ⇒ 出た〜っ! 燃えよ剣!

 



今回、観たのは第一巻です。そこには

第一話「新選組前夜」

第二話「春の月かげ」

第三話「三条木屋町・紅屋」

の3つの話が入っています。




試衛館メンバーが上洛してから、隊士を集め、

巡察を開始するあたりまで。





もちろん、懐かさも含めて

じゅうぶん味わいながら観ましたが、

3話で終わりと思っていたその後に、

なんと特典まで付いていたのです







その特典がとっても嬉しい♪

だって、「栗塚旭インタビュー」という

映像特典だったのですからね!






映像では、現在の栗塚旭さんが登場していますよ。

ちょうど数年前にCM出演していた、あのお顔です。

ドラマ制作から40年も経っているので、

お歳はめしていますが、お元気なお姿です。





そして「燃えよ剣」の撮影現場や

エピソードなどを語っていらっしゃいます。





それから他にも特典が付いていて、

そちらは音声特典なんですよ。

第三話の「三条木屋町・紅屋」を見ながら、

栗塚さんが出演の役者さんのことや、

各場面の撮影現場のことなどについて

コメントしています。





その栗塚さんのお話のお相手をされているのが、

「新選組血風録の世界」という本を書かれた、

黒須洋子さん





黒須さんといえば、昔あった

「新選組の映画を観る会」での

映像紹介用のパンフを毎回作成されていましたよ。

また個人的には、歳三忌での二次会の席で、

「燃えよ剣」や「新選組血風録」のいろいろな裏話を

聞かせていただいた方なのです






ですから、その音声を聞いているうちに、

「新選組の映画を観る会」での思い出などが甦り、

とても懐かしい気分になりました。

私にとってこのDVDは、とても価値ある品物でしたよ。

次回、第2巻を観るのも楽しみです。






もしあなたが栗塚さんファンなら、

ぜひ観て欲しいですね〜

初回限定DVDですと、全巻収納BOXと

ブロマイドも付いています。





このドラマを観たことがないなら、

最近のドラマと雰囲気が違うので、

新鮮に思えるかもしれませんね。

よかったら「燃えよ剣」の世界をお楽しみ下さいね


[DVD] 燃えよ剣 第一巻
なつかしい、近藤勇(舟橋元)らが表紙です


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期末テストお助け組

  • 2012/02/28(火) 23:27:11

私の知り合いに 「歴史が苦手」という、

ふたりの少年(中学2年)がいるんですね。

昨年の11月のこと、

ちょうど2学期の期末テストが間近に迫っていて、

「今度の日本史(テスト)は、ヤバイ(点が取れない)!」

と言っていました。






詳しく聞いてみたところ、テスト範囲は

「幕末(開国)から明治まで」とのこと。





幕末から明治♪






「それなら、ルンちゃんが教えてあげてもいいよ

と言ったら、「ぜひお願いします」ということになって

急遽、期末テストお助け組(自称)の幕末講座の開催となりました。





たまたま少年のうちの1人が、

テレビドラマの「仁」を見ていたので、

「仁」がらみでお話をすることにしました。






坂本龍馬は、なぜ京都にいたのか?

仁がタイムスリップした頃の日本は、

どんな国だったのか?など…





ドラマのシーンを交えていろいろ話したところ、

彼らからもポンポン質問が出てきて、

なかなか楽しい講座となりましたよ(私も面白かった〜)





そして試験に臨んだ ふたり。

その結果は、いつもより

ず〜っと良い点が取れたとのことでした。

よかったね〜♪






それでめでたし、めでたし

で終わればよかったのですが

そうならないのが世の常…





実は今、3学期の期末テストの真っ最中なんです

そうです。再びテストが心配ということで

ルンちゃんが、かり出されました。しかも今回の範囲は、

江戸時代が終わったところからなので、

明治から大正までですよ。






明治から大正〜






その時代は、私が日本史の中で

もっとも興味の薄い時代なんですよ。

だって、薩長側の世の中ですものね。





でも前回(二学期期末テスト)のことがあるので、

彼らもすごく期待しているみたい。

というわけで、岩倉使節団やら西南戦争やらのお話を

させていただきました。





そして今日、テストが終わりました。

日本史テストは先週の金曜日でしたが、

どうだったんでしょうね?

すご〜く気になる、彼らのテスト結果です。


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左右田一平さんのこと

  • 2012/02/17(金) 12:09:28


2月10日に、

左右田一平さんがお亡くなりになったそうですね。

(16日の朝刊に載っていました)


おいくつだったんだろうとみれば、81歳。






ご高齢ではありましたが、

まだ逝くには早すぎる、

もっと出演されるドラマを見たかったと、

ベテラン俳優の突然の死を

惜しむ気持でいっぱいです。






左右田一平さんといえば、やはり新選組ファンには

テレビドラマの『新選組血風録』での斎藤一、

そして『燃えよ剣』での裏通り先生の印象が強いですよね。






あれらの作品以降も、時代劇や現代劇、

人気のドラマなどに出演されることも多く、

いろいろな場面でお見かけしていました。






私個人のことでは、

昭和の頃に「新選組の映画を観る会」というのがあって、

ゲストとして左右田さんがお見えになったとき、

私の席のまん前に、左右田さんが座られたことがありました。





テレビに出演されている俳優さんをあんなに間近で、

しかも長時間、一緒に時間を過ごしたのは初めてだったので、

すごく嬉しかったという思い出があります。






あの時いただいたサインは

今も大切にしまってあります。

(笑っていらしたお顔がなつかしい)






そのせいもあるのかもしれませんね。

テレビで何気にチャンネルを変えた時、

左右田さんが画面に映っていると、

ついそのまま見入ってしまい、結局最後まで

ドラマを見てしまったということが何度もありましたよ。





最近お見かけしないなと思っていたところ、

まさか訃報を聞くとは思いもしませんでした。






ちょうど私は、二週間ほど前に

思い出したように『血風録』のDVDを取り出してきて、

第11話「槍は宝蔵院流」での谷三十郎と

斎藤一(左右田さん)との決闘を見ていたのですから…






しかも一昨日も、

昭和時代の新選組本を読んでいたところ、

左右田さんの名前が登場していたのです。

私の(生活の)中では、

本当に身近な俳優さんという感じでした。





もうTVでお姿を拝見できないのは、悲しいですね。

でも、いろいろな作品の中に左右田さんはいらっしゃいます。

その作品の中で、いつまでも生き続けているのかもしれません。

私も、心の中に新選組がある限り、きっと

左右田さんのことを忘れることはないでしょう。





左右田一平さん、ステキな斉藤一や

裏通り先生をありがとうございました。

どうぞ安らかにお眠りください。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


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踊る土方歳三

  • 2012/02/13(月) 20:40:20


我が家で最近、

ミステリアスな出来事が続いています。





私の部屋には土方歳三のフィギュアが

2体あるんですよね。ひとつは

「新選組!」の山本耕史さんをモチーフにした土方歳三。

もうひとつは「燃えよ剣」や「新選組血風録」の

栗塚旭さんモチーフの土方歳三。






その栗塚さんのほうの土方歳三が、

勝手に踊るんです





正面を向けて置いておくのに、

気付くと横を向いている!?





最初に気付いたとき、その現象にゾッとしたものです。

だってね、なにもしないのに横を向いているんですから。

聞いただけでも、怖いでしょ





まあ、原因がわかれば

大したことじゃないかもしれませんけどね…





実はこの現象、あの3.11から始まったのです。

(こう書けば、理由はわかるかもしれませんね)







山本さんの土方は座った形なので、

動きようもないのですが、

栗塚さんの土方は立った姿なので、

支え棒に支えられて立っているのです。





その支えが安定していなくて、気持ち斜めになっていて

フィギュアが固定されないのでした。

そのため、大きめの揺れが来ると

カタカタ揺られてフィギュアが微妙に動き出し、

気付くと横を向いている というわけです。






原因がわかれば、なんのことはないのですけど、

3.11以前には全くなかった現象なので、

別な意味で、考えると怖いですよ





だって土方歳三が踊るような地震が

頻繁に起こっているっていうことですからね。

倒れる地震は絶対来ないで欲しい!!

(3.11の時は土方 倒れました)







土方さん、どうかもう

これ以上踊らないで下さい。






万一の用心に、避難袋などの用意は

必ずしておきましょうね。

人間の力ではどうしようもないことでしょうけれど、

神様仏様に「大地震が来ないように!」と、

私も毎日お祈りしています。


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ここは「仁」のロケ地だ!

  • 2012/01/28(土) 00:27:04

前回は、川越七福神めぐりのお話でした。

七福神めぐりは2時間もあればできてしまうので、

その後、城下町を散策することもできますよ。




もちろん私も七福神めぐりの後、散策しましたので、

今回はそのお話です





さて、川越にはその昔、

南院(多聞院)・中院(仏地院)・北院(仏蔵院)

という三院がありました。

慈覚大師が天長7(830)年に創建した

星野山無量寺にあったものです。





歳月を経て三院は独立し、その後、南院は廃寺になり、

「南院跡」に幾つかの石碑の名残りがあるだけです。





中院は現在の川越東照宮のある場所にありましたが、

天正16(1588)年に移され、今に至ります。

昔は三院の中での要になっていたようですが、

その後、北院の方が勢力を増し現在に至ります。

境内には、狭山茶発祥の地碑があります。





そして、北院。

今は「喜多院」と名乗っていますよ。

川越でも超有名なお寺ですね

天正16(1588)年に天海僧正が喜多院に来てから、

こちらが三院の中心となったようです。





天海僧正と江戸幕府との関係は深く、

僧正が江戸の町づくりにも大きく関わり

陰陽道や風水を利用して「東の京都」を構築した事は

有名な話ですね。






そんな深い関係は、川越で

寛永15年(1638)年に大火があり

ほとんどのものが焼失した際に、

庫裏や客殿・書院が江戸城から移築された

ということでもわかります。





江戸城はその後、

建物の焼失の憂き目にあっていますので、

移築されていたことは、かえって

良かったのかもしれませんね〜





話に登場していた川越東照宮は

仙波東照宮
と言って、「日光」や「久能山」と並び

「三大東照宮」と呼ばれていますよ。






徳川家康が亡くなる前、遺言として自らの遺骸を

日光東照宮に移すように伝えました。

死後、久能山から日光へ移葬されることになり、

その途中、喜多院に4日間逗留したそうです。

その縁もあって、天海僧正がこの地に

創建したのが「仙波東照宮」の始まりです。






最初の鳥居の辺りは、

よくある普通の神社にしか見えませんでしたが、

鳥居をくぐり、神殿に進むにしたがって

日光の東照宮に来ている錯覚さえ感じてきましたよ。




仙波東照宮
仙波東照宮 posted by (C)ルンちゃん



とくに神殿の部分は色具合などが

日光東照宮によく似ていますね。

三大東照宮があることは聞いたことがありましたが、

それが川越だったことは今回初めて知りました。

来ることができてよかったです。






かつて、川越にはお城もありました。

川越城は扇谷上杉持朝が太田道真(資清)・

道灌(資長)父子ら家臣達に命じて築城されたといいます。

この地は軍事上の要でもあり、

多くの武人たちがこの地にやってきています。






一時は後北条氏のものとなりますが、

豊臣秀吉の関東攻略にともない

前田利家らに攻められ降伏。






その後、徳川家康がこの地を得ると

自らは江戸城を構え、そして幕府の有力な大名に

この川越領を受け持たせるようにしたのです。





それでも築城当時は、

本丸・二ノ丸ほどの僅かの規模でした。

それが江戸時代になると幕府の重要ポイントとなるこの城に、

三ノ丸・追手曲輪・新曲輪などを造り、

規模を拡大していったそうです。





街の中にはそれらの遺跡が各所にあり、

それらを見学しながら、当時の城の大きさを想像すると

その規模に驚いてしまします。





そんな川越城も、

大政奉還・版籍奉還・廃藩置県と歳月を経るに従い、

城は解体され、学校や役所などの公用地や、

市民の住宅地へと払い下げられていきました。






近年、町の歴史を保存する動きが現われ、

わずかばかりではありますが、

当時の城を思わせる場所が残されています。






例えばこちら。

中ノ門堀跡


中ノ門堀跡
中ノ門堀跡 posted by (C)ルンちゃん

川越城の堀の様子がわかります。

堀の遺跡の上に民家が建ち並んでいるのは

払い下げがあったという話の通りですね。

でもなんだかとても不思議な光景なんですよ。





かつて二ノ丸があった場所は、

現在は博物館や美術館などがあります。





それからこちら。

川越城本丸御殿



川越城本丸御殿
川越城本丸御殿 posted by (C)ルンちゃん


現存する川越城の本丸御殿です。

明治になって県庁の庁舎として利用され、

その後も公共場として利用されていたことから、

現存することができたようです。





今は本丸御殿の玄関と広間部分などが残され、

見学することができますよ。






ちなみにこの御殿内で、テレビドラマの

「仁」の一部が撮影されたそうです

「仁」の物語の中で、川越藩の奥方様が

登場する場面があるのですが

それがご縁での撮影だったようです。





実際にドラマの中では

「川越藩松平家別邸の内部」として登場しました。

それから、役者の坂東吉十郎が転んで立ち上がれなかった

「芝居小屋の廊下」や「楽屋」も、ここを利用したのだとか。

(御殿のガイドさんの話^^)





他にも、勝海舟と板倉伊賀守が話をしていた

「幕府の建物の内部」としても撮影されていたようです

「仁」の場面を想像しながら御殿内を見るのも

また違った楽しみがありますね。

注…「仁」のロケ地は各所にあります




お菓子の花♪
お菓子の花♪ posted by (C)ルンちゃん



町を歩けばお菓子横丁の飴屋さんや、

お漬物屋さんなど、ひとつひとつが興味あるお店です。

有名な時の鐘も、今も現役で働いていますよ。

(お昼に鳴ってた^^)



時の鐘
時の鐘 posted by (C)ルンちゃん



今回いろいろなお寺やお店に行ってみましたが、

それでも全部は見られませんでした。

また機会を見つけて、ぜひ行ってみたいです


蔵のある風景
蔵のある風景 posted by (C)ルンちゃん



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江戸時代の娯楽、やってます^^

  • 2011/12/06(火) 00:16:03


このところ、趣味のウォーキングの方では

「大山参り」のルートを歩いています





「大山参り」というのは、神奈川県の大山の山頂にある

「大山阿夫利神社 (おおやまあふりじんじゃ)」にお参りする

というものなんですね。

これは江戸時代に庶民の間で、盛んに行われていた信仰なんですよ。






当時は庶民が旅行するなんてことは、

今のように自由じゃありませんでした。

でも信仰となると、比較的お上も寛大だったみたいです。

それでお伊勢さんや富士山にも行けたんですね。





でもお伊勢さんや富士山だと、江戸庶民にはチョッと遠すぎます。

そこで「もっと近場で」ということで、

大山参りが人気だったみたいなんですよ





旧暦の6月から7月の頃に、数日かけて大山へ行き、

その日は宿坊に泊まり、翌朝に神社へ参拝登山にでかけます。

これで目的は達成されたわけですけど、

これで帰るかといえば、そうでもありません

気が向くと、江ノ島や鎌倉にも足を運んでいたみたいですよ。





そりゃそうですよね。

せっかくここまで来たんだから、もっといろいろ見てみたい。

そう思う気持はわかります。こうして「大山参り」を口実に、

みんなこの時とばかりに遊んだのでした

そういえば、清河八郎さんもこの辺りを観光していましたね〜。


過去記事 ⇒ 清河八郎も訪れた意外な観光地 





そんな江戸時代の庶民の気持になって、

私も「大山参り」をしています。




さて、その「大山参り」のルートはいくつもあったようです。

それだけいろいろな所から詣でる人がいたのでしょうね。

ちなみに、高尾山にも大山道があるそうな。

昔は高尾山も富士登山代わりになっていたともいうし…

(詳細は不明。こんど調べてみます^^)






今歩いているのは、「矢倉沢往還」と呼ばれている所で、

江戸の赤坂御門から青山〜渋谷〜三軒茶屋〜瀬田〜多摩丘陵〜

大和〜矢倉沢関所と続いている脇街道です。





途中には道しるべや、旧家の家屋などもあり

「こんな所にあの人が来たの?」

なんていう場所もあり面白いですよ。

今日は具体的な場所は載せませんけど、

そのうちご紹介しますので、よかったら見てみて下さいね



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龍馬が食べた(?)カレーの味

  • 2011/11/25(金) 10:50:29


再び、龍馬のネタなんですけど…

先日、近くの百貨店で、全国の「アンテナショップ」

を集めた物産展を開催していました。




アンテナショップっていいですよね

ご当地の自慢の品がわかるし、

旅した場所なら、懐かしい思い出の品があるし、

知らない場所へ行ってみたくもなります。




今回の物産展でも、いろいろと楽しい品物がありました。

その中に「ご当地カレー」というのもありましたよ。




ご当地カレーはたくさんありますよね。お馴染なのは、

函館なら「五島軒」ですね。私も現地で食べた事があります。

沖縄だと「ボンカレー(昔の絵柄)」が有名ですけどね。

他にも場所によって、鹿肉の入ったのや牡蠣の入ったのもあります。





たくさん並んでいるカレーの中で、

その日、目についたのはこれでした。



長崎幕末ロマン 龍馬伝説カレー




長崎のカレーですよ。表紙が龍馬の渋いイラストです。

「龍馬のカレー」という品物は他にもあるようですが、

これは名前だけじゃないようです。

チョッと気になったので購入してみましたよ。

どんなでしょう? 食べるのが楽しみ〜





帰宅してからじっくり箱を見たところ、

表面はやはり龍馬の顔です。裏面の説明書きによると、

幕末、オランダの軍医ポンペが自国に送った報告書に

カレーのことが書かれていたそうです。





ハイカラ龍馬なら当時カレーを食べたのではないか

ということで、当時のカレーを研究し、

再現したのがこのカレーだそうですよ。





数日後、お昼に試食してみました

箱の中にはレトルト状態で入ってます。

取り出したレトルトには、説明も絵も何も書いてありません。

せめて龍馬の絵くらい付いてて欲しかったけど^^;





温めて中身をお皿に取り出したところ、

スパイシーな香りが漂ってきましたよ。

「スパイスが強いかな?」と思いましたが、

食べてみたら、そんなに気になりませんでした。

なかなか美味しいかったです♪





でも食べ慣れない味しました。

「いったい何だろう?」と思って箱に記載の材料を見たら、

コーヒーやビールが隠し味に入っていました。

気がついたのはビールの味でしたね。





「昔のカレーを研究して」とありましたが、

この味を龍馬らは食べたのかしら?

それは確かめることはできませんけど、

遠い昔を思って食べると、ロマンも感じられるようです




今回のご当地カレーは「龍馬のカレー」でしたが、

他にもいろいろあるので、各地を試してみたくなりました。

今度探してみるつもりです


長崎幕末ロマン 龍馬伝説カレー
日本最初の西洋料理店「良林亭」のカレーを再現!
隠し味が光る☆龍馬役の福山雅治さんも絶賛さ...




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