島原、居続けの日

  • 2009/01/04(日) 14:53:01

新選組版「今日は何の日?」です

永倉新八の『新撰組顛末記』によりますと…




お正月のこと。

伊東甲子太郎
の思いつきで、新年早々、

島原に繰り出そうということになりました。





彼の腹心である服部武雄、加納道之助、中西昇、

内海次郎、佐野七五三之助、三樹三郎(伊東の弟)のほか、

めずらしく(?)近藤派のふたり、

永倉新八、斎藤一
も連れて伊東は島原へと向かいます。





正月は島原廓内も休みになりますが、

「新選組が来た!」粗相があってはならないと、

店でも芸妓たちを呼ぶという気遣いよう^^;





伊東は花香太夫(輪違屋)、

斎藤は相生太夫(桔梗屋)、永倉は小常(亀屋)と

それぞれ馴染みの女性たちまで呼び出し、

ついでに、他の新選組隊士たちも集まって、

飲めや歌えやの大宴会となりました





そうこうするうち、夜になり…




門限が近づくと、隊士たちは切腹怖しで、

次々隊へ戻っていきました




ところが伊東は

「いつになく酔ったが、この心地で無骨な隊に戻るのも興なし」


と言って、このまま飲み明かすことを提案します。

酔って気が大きくなっている永倉と斎藤も、これに賛成し

そのまま居続け決定!
(おいおい

そうして、世は更けていきました。





2日目。

彼らはどうしたかといいますと、

「どうせ切腹する身だから、この世の思い出に思い切り飲もう!」


と、またも居続けたんですよね〜




そして3日目も同じことを繰り返し…




1867(慶応3)年1月4日


さすがに4日目になると、近藤勇から使いがやってきたので、

彼らは重い腰をあげ、隊に帰っていきました。





帰隊した彼らを、

近藤が怒気を満面に含んだ顔で迎えます。

すぐに伊東は近藤の部屋の居間で、斎藤は土方の居間で、

永倉は別の部屋で、処分が言い渡されるまで謹慎となりました。





当初、近藤は永倉だけを切腹させようとしたそうです。
(あくまでも顛末記によりますけど)




永倉は以前、会津藩に「近藤糾弾」の直訴状を送った

首謀者であったことから、今回2度目のお騒がせ事件であり、

彼一人に罪をかぶせようとしたようです。

関連記事 ⇒ 葛山武八郎処罰の真相




でも、土方が「それでは片手落ちだ」と反対し、

他の隊士たちの今後の士気への配慮もあって、

3人の切腹は免れました。




結局、伊東と斎藤は2、3日で謹慎を解かれ、

永倉も6日後に許されています。





今回は大事に至らず済みましたが、

この年は伊東らの離隊、油小路の変の年でもあるのです。

波乱含みの慶応3年は、こうして始まったのです。


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この記事に対するコメント

あけまして 

おめでとうございます(^^)
今年もよろしくお願いします!

斎藤さん、絶対このころから伊藤さんに「付けられて」いたはず(笑
抜け目ないよなぁwww

よろしくお願いします

味のりさん、
あけましておめでとうございます^^
こちらこそ、よろしくお願いします。

篤姫は終わってしまいましたが、
今年も楽しく幕末三昧でいきましょうね♪

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