ぜんざい屋事件の日

  • 2009/01/08(木) 10:14:20

新選組版「今日は何の日?」です





池田屋騒動から、およそ半年後。

今度は大阪で、

過激派浪士らの放火計画が発覚しました





その頃、二番隊に所属し大阪に道場を構えていた

新選組隊士の谷万太郎は、その道場を拠点とし、

門弟たちに剣や槍術を教えながら、

不逞浪士らに関する情報収集を行っていました。





そんな彼の元に、放火計画が飛び込んできたのです。





情報元は、門弟の和栗吉次郎で、

彼の仲間である土佐浪士の浜田辰弥(=田中光顕)、

那須盛馬らが大阪放火の計画を立てているというものでした。





1865(元治2)年1月8日


谷万太郎は、兄の三十郎と門弟の正木直太郎、

高野十郎を連れて、浪士が潜伏中のぜんざい屋

「石倉屋」に向かいます。





店を襲撃したところ、浪士たちのほとんどは不在で、

「石倉屋」の主人で一味のひとりでもあった

本多太内蔵もいち早く逃走。





残った大利鼎吉(ていきち)と万太郎たちが戦います。

相手の抵抗に、万太郎は胸、三十郎は足、

正木は手を負傷しますが、最後には彼を斬リ伏せました。






また本多の妻を捕らえ、

残されていた武器弾薬、書類等を押収し、

大阪放火を未遂に終わらせることに成功したのでした





このときの活躍が認められたのか、

和栗吉次郎は谷川辰蔵と改名し、新選組に入隊します





そして、もうひとり。

ぜんざい屋を襲撃した、高野十郎






じつは、彼は池田屋騒動直前に、新選組から脱隊した人物で、

この事件の後、再び新選組に入隊します。

つまり2度、新選組に入るわけですね。なんと物好きな人でしょう。






でもそれで驚いちゃいけません





伊東甲子太郎が新選組から分離するとき、

伊東について新選組から再び脱隊するのが、この人なんです。

そうです。彼が高台寺党の一人、阿部十郎です
(墨染で近藤を襲った一人でもあります)







新選組を2度入隊し、2度脱隊した人は、

新選組隊士の中でも、この人だけですよ。

ずいぶん数奇な人生を歩んだ人ですよね。
(でも長生きしています^^)



rwn3.bana
歴史ブログ 幕末・明治維新
お楽しみ頂けましたら
文字をクリック願います。
ブログランキング参加中!
あなたの応援が私の励みです!
                  多摩人(たまびと)漫遊記 トップページに戻る

「ぜんざい屋事件の日」を読んだ人はこんな記事も読んでいます
芹沢鴨暗殺の日 (2007/09/18)
井上源三郎 誕生の日 (2008/03/01)
捨助がやってきた! (2008/11/21)

この記事に対するコメント

この記事にコメントする

管理者にだけ表示を許可する