新選組は「八ツ橋」を食べたのか?

  • 2009/09/14(月) 11:32:54

昨日から、職場近くの中学生たちが

京都・奈良に修学旅行に行っています。

新型インフルエンザの影響で、

6月だったのが延期されてやっと行くことができました。

よかったね〜






京都旅行なんていいですよね。

私も彼女たちについて行きたかったな(それは無理^^;)

そんな私の気持を知ってか知らずか、

おみやげに「八ツ橋」を買ってきてくれるそうです(それは嬉しい^^)





自由行動時間があるそうなので、私も彼女たちに

「八ツ橋・お漬物ほか試食めぐりコース」


を教えてあげました






そういえば「八ツ橋」って

今でこそ京都のおみやげの定番ですけど、

新選組の人たちは食べたことがあったのでしょうか?






そもそも、幕末の時代に

「八ツ橋」ってあったのかしらね?





気になったので、チョッと調べてみたところ、

幕末にも八ツ橋があったみたいなんですよ。





八ツ橋の元祖ともいうべきお店があるんです。

それが「本家西尾」さん。

⇒ 本家西尾 八ツ橋HP






1689(元禄2)年創業のお店ですよ。

つまり320年の歴史がある老舗中の老舗なんですね

当時は「八ッ橋屋梅林茶店」と呼ばれていたみたいです。

このお店は、熊野神社聖護院の参拝客を迎える、

門前茶屋
でありました。






最初は今の八ッ橋の原型でもある、

橋形のせんべいが誕生したそうです。

それが変化して今の形になったんですね。





ただ、いつから今の形になったのかは、

今回わからなかったので、幕末時代にすでに

今の形だったのかは不明です。





同じお店に「白餅」というのがあって、

創業以来から、東海道を行く旅人の携帯食として

利用されていたそうですので、そちらはもしかしたら

新選組の隊士たちも食べていたかもしれませんね。





でも、どちらも「新選組が食べた」という資料は

今のところありません。

出てきたら面白いのに(残念…)





幕末時代からあるものは、

彼らが食した可能性もあるので、ぜひ味わってみたいです





今回生徒たちが買ってくる八ツ橋は、

有名な「おた○」らしいので、

自分で京都に行ったときにでも食べてみましょう





あなたも京都に行くときに、

よかったら江戸時代からのお店の八ツ橋を

お試し下さいね〜


本家西尾八ツ橋じゃないけど、
調べたらこんなのもありましたよ
  
  ⇒ 新選組のパッケージの八ツ橋



 
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この記事に対するコメント

ご無沙汰しております。
八ッ橋といえば、金戒光明寺にお墓のある、近世箏の創始者「八橋検校」を偲んで筝の形に作られたとも、三河の国にあった八橋を舞台にした「かきつばた」の句(伊勢物語)の橋に由来するとも言われます。
前者のスポンサーだった平藩内藤家、後に延岡藩内藤家になりますが、その支藩だったのが幕末の挙母藩内藤家。八橋のあったあたりも治めていました。
本家の藩祖が弓の名手とうたわれた「内藤家長」であったせいか、弓道にも力をいれていたのでしょう、幕末の日本一の弓の名人「安藤早太郎」を輩出しています。池田屋の怪我がもとで無くなりましたが、新撰組、微妙に八つ橋に関係がなくもない様です。
スポッツ

ご無沙汰です

スポッツさん、こんばんは。

八ツ橋と安藤早太郎さんに、微妙な繋がりがあったなんて驚きです。
でも、なんとなく嬉しいですね。
私も弓道については興味がありますので、
内藤家はチョッと気になります。
いろいろ調べてみたいと思います。

これからもいろいろ教えて下さいね。
よろしくお願いします。

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